更新さぼりまくり。
でも、なんか最近”書きたくない期”なんですよね。たぶん。
モニタを見るのも嫌ですから。
まあ、繊細っていうか、結局は自意識過剰なのですけど。
なんかもう駄目なんですよね。
ほかの人のブログにコメントを書くのは平気なのですけど。
なんつーか、負担が違うんですよね。
すべてを自分のことばで表現するのと、他人のことばに乗っかるのでは。
背負っているものが、ぜんぜん違う。
まあ、背負いすぎなんですけれどね。僕が。勝手に。
なにをそんなに気にしているんだっていう。
反対に、”書きたい期”もありますけど、そのときは必死ですね。
ことばを逃さないように。
考えるごとに、思考が感情に遅れるので。
うーん、思ってないことを書くのが嫌なんですかね?
いや、まあ、嫌は嫌なのですけど、そこまで明確に拒絶なのかなー・・・、と。
自分でも未確認の領域です。
踏み込めない、に近いかも。
ニュートラルな状態では、なんつーか、そういう深い思考に辿り着けません。たぶん。
あー、僕と似たような人で、
僕よりも進んだ思考の持ち主が、ぽろっとヒント出してくれないかなー。
いや、実際にそんな奴がいたら同属嫌悪×2で即殺し合いかもしれませんけれど。
未だ未知ですね。幸いにも。出会ってません。自分の未来系には。
しかし、どうなのでしょうね?
僕は、”あ、こいつ僕と似てるなー”と思える奴には出会ったことがないのですが。
ほかの人はけっこう出会っているのかな?
うーん、自分にとっては自分の感覚がデフォルトなので、
自分では自分を普通だと思っていますけれど。
自分を徹底的に客観視するために、自分に似た奴に出会ってみたいなあ、とか。
ああ、もしかして、結婚ってそういう役割も果たしてるのかな。
”ひとり”から”ふたり”になることで明らかに共有していない感覚にぶち当たるだろうし。
いちゃいちゃしているだけでは視えない、本性というか、そういう部分の。
前置きが長すぎですね。
まあ、なんつーか、僕のデフォルトを備忘録的に記しつつ、
あわよくば自分を客観視し、もう少し大人になろうという、そういうノリです。
遅刻ってありますよね。
許せますか、遅刻。
許せませんか、遅刻。
まあ、これは通常4通りの考え方に分岐すると思います。
<1>他人の遅刻は許す、自分の遅刻も許す。
<2>他人の遅刻は許す、自分の遅刻は許さない。
<3>他人の遅刻は許さない、自分の遅刻は許す。
<4>他人の遅刻は許さない、自分の遅刻も許さない。
これ以外にもあるとは思いますが、話が脱線するので、とりあえずこの4つで。
僕のデフォルトは<2>なのですけれど、たまに<4>もありますね。
基本、自分がやってれば良いと思うので。
でも、たまに調子に乗ってるときは、
「僕がやってるんだから、おまえもやれよ!ちゃんとやろうぜ!」みたいに思うこともあります。
人間。
<4>は、”ちょっとねぇ・・・”なんですよね。
これは、自分のルールを相手に押し付けているんですよね。完全に。
”遅刻は悪い”という社会のルールに乗っかって、
本当は、なんか単に苛立ちを、ストレスをぶちまけているだけじゃんというか。
卑怯な正当化というか、感情ロンダリングというか。
ちょっと健全じゃない思考なんですよね。僕的には。
単に「遅刻だぞ、コノヤロー!」とかならセーフですけど。
「おれは遅れてないんだから、おまえも~」というのは、格好悪いですね。
美学持ってないの、という感じ。
でも、たまに美学どうでもよくなるくらいむかつくこともあるなー、みたいな。
まあ、大抵は余裕がないときです。
責任は自分のものであって、他人には及ばない。
相手が遅れたなら、そいつと約束した自分を悔いるべきなんですよ。本当はね。
で、僕自身の遅刻はというと、もうかなり許せません。
めちゃくちゃ罪悪感に苛まされます。
虐待と、虐殺、と、殺人の次くらいに重罪みたいなところがあります。遅刻。
必ず待ち合わせの30分前には到着するようにしていますし、
下手をすると何時間も前に到着していることさえあります。
毎回、時間潰しに困るという。
同じ相手と何回か待ち合わせしたりすると、相手も心得てきて、
そいつも待ち合わせ時間より早く来たりして、
もう待ち合わせの時間とか関係ないじゃん、みたいな。
なんなんですかね、小心者なんでしょうか。臆病風というか、臆病嵐なんですよね。
でも、待ち合わせに当然のように遅れてきて、しかも平然としている奴もいるわけですよ。
そういう奴にぶち当たる度に思いますね。
人間のデフォルト設定が、こいつとは違うな、と。
いや、善し悪しではなく、ジャンル的な意味で。
構造から別だな、と。
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