---中学時代、美術室。
真っ白な画用紙を前に、僕は途方に暮れていた。
特に、描きたいモチーフがないのだ。
真っ直ぐな線すらまともに描けないのに、モチーフだなんて生意気な感じだが、
未熟だからこそテーマを明確にすることが重要だと、僕は思う。
あらかじめ方向性を決めておかないと、イメージをコントロールできずに破綻してしまう。
そういうわけで、かれこれ30分は固まっていただろうか。
美術室は静かで、僕と先生のほかには誰もいない。
それもそのはずで、時刻は朝の6時半。
文系部活なのに朝練という、微妙に歪な状況。
まあ、その代わりに通常の、放課後の部活には滅多に参加しない。
「むむむ・・・」
ぜんぜん、まったく、さっぱり思い付かない。
こうなってくると、ただの画用紙が強烈に存在感を増す。
小さな画用紙なのに、広大な砂漠のように思える。
描かなければならないのに、描けないという強迫観念。
追い詰められて、余計に思考が束縛されるという悪循環。
そんな僕を見かねたのだろうか。
先生が声を掛けてきた。
「きみはなにがしたいの」
「絵を描きたいです」
「じゃあ、きみはなにを描きたいの」
「それが、わからないんです」
「おかしいね。描きたいものがわからないのに、描きたいの」
おかしかった。
明らかに僕の思考は矛盾していた。
僕には、もうモチーフがないのだろうか。
僕のモチーフは有限で、知らずに全てを消費してしまったのだろうか。
「きみは混乱しているんだね」
そうなのだろうか。
そう言われれば、そんな気もする。そうでない気もする。認識できないので、自覚もできない。
「モチーフがなくなることはない。心がーーー、感受性があるかぎり。
何かに美しさを感じたり、何かに醜さを感じる限り、その基準となる意識がある。
それが、きみのモチーフだよ。きみだけの才能だ」
才能という言葉に、僕は恐怖する。
優れた人間は、それだけで悲劇だ。
衝撃は加速度に比例する。挫折も。環境も。
リスクの桁が違う。
背負っているものが、違う。
僕は、それを知っていた。最悪なことに。
「きみは、まだ基準が曖昧なんだろうね」
「というか、話が抽象的すぎて付いていけないのですけど・・・」
「うーん、まあねえ。わたしが理解していることと、それを説明することは別だからねえ。
なんていうのかなあ、ええと・・・、あー、そうだ。
きみはさ、”いちばんきれいなもの”を答えられる?」
「なんですか、それは」
「きみ、いま何歳だっけ」
「15です」
「15年間の人生のなかで、何が、いちばんきれいだった?」
先生は一見すると、いつものニヤニヤ笑いだったが、眼だけは鋭いような気がした。
まるで、僕を試しているように。
いや、実際に試しているのだろう。
これは、そういう質問だ。
先生は僕ではなく、僕の才能を視ている。
考えてみると、確かに自分のなかの基準は曖昧だった。
日常生活において、”これは格好いい”とか”これは最低”とか、色んな判断をするが、
その判断が何の基準に基づいているのかというと、よく解らないのだった。
好みや趣味は先天的なものもあるかもしれないが、おそらく大抵は後天的なものだろう。
育ってきた環境で培った価値観が、色んなものの影響を受けた集大成が、”基準”だ。
”基準”は常にあった。無意識に、慎重に。僕は積み重ねてきたはずだ。
でも、何を?
僕は、あまりに無防備だった。
価値観が秒単位で薄くなっていき、今じゃ、後ろが透けて見えるほど。
「・・・・・・」
「この問いに答えられるものは、そうはいない。
即答できるほどの自信を持っている人間は少ない」
「・・・・・・」
「きれいなものとは、単純に”物”には限定されない。
感じるものなら何でも良い。たとえば”音”でも。
この程度の思考すらできない者もいるがーーー」
先生が何か難しいことを言っているが、既に僕は聞いていなかった。
どうせ、聞いたってよく解らないのだ。
解らないことは後回しで良い。解ることを先に優先しよう。
僕は知っているはずだ。僕の”基準”を。僕のルーツ。
いちばんきれいなもの。
見たことがあるはずだ。
だって、僕には眼がある。色んなものを見てきた。
知っているはずだ。
だって、僕には脳がある。色んなことを考えてきた。
覚えているはずだ。
だって、僕には言葉がある。認識したはずだ。
消去法で、残ったものが解答だ。
これまでの僕の、人生の、すべてだ。
そこで。
唐突に閃いたことがあった。
「・・・わかりました」
「へえ、わかったの。聞こうか」
「人間です」
人間だった。
「もう少し説明が欲しいな」
「人間の構造です」
たとえば、顔のパーツのバランス。
あんなもの、思い付ける気がしない。
内臓の位置。
少しでも間違えば、死に直結する。
骨。筋肉の流れ。
なんかもうデザイン的に格好良すぎる。
神様なんてものがいるとしたら、きっと凄腕のデザイナーだろう。
そして裸。
「そのなかでも、僕は人間の裸がいちばんきれいだと思います」
裸の人間の曲線が、すべてのデザインの基本なのじゃないかという気さえする。
「なるほどね」
「え、それだけですか」
「ん?そうだよ。きみが描きたいものは、それでしょう」
あ、そういえば、僕はモチーフを探していたのだっけ。完全に忘れていた。
そんな感じで。
僕は、ひたすらヌードデッサンに明け暮れていたのだった。
ある日、テストが早々に終わったので(というか、終わらせた)、
テスト用紙の開いたスペースに落書きをしていた、という記憶があった。
記憶があった、というのは完全には覚えていなかったからだ。
当時の僕は、”ほんの少しでも余白があれば何か描き込まずにはいられない病”だったので、
なんとなく何か描いたような印象はあったが、
なにぶん、それが日常なので、なかば無意識化していて、何を描いていたのかまでは覚えていなかった。
で、テスト返却のときに問題用紙も一緒に返却されるのだが、僕だけ名前が呼ばれなかった。
おかしいな、と思っていたら昼休みに職員室に呼び出され、めちゃくちゃ怒られた。
問題用紙の裏に、でかでかと裸婦デッサンしていたのだった。
しかも、その頃は個性を模索していて、少し浮世絵風に曲線を主張させていた。
端的に言うと、むっちりとした肉感を表現しようと試みていて、もうぶっちゃけて言うとエロかった。
たぶん、それが良くなかったんだろう。というか、単に落書きが気に入らなかったのかもしれない。
まあ、そのあたりは僕の与り知るところではないが、
説教されつつ、キャンバスと化した問題用紙を回収し、教室に戻ると、
なぜか事の顛末がクラス中に筒抜けであり、
その日以降、クラスの連中が僕に話し掛けるときに語尾にエロを付けるようになり、
一部の男子から絶大な支持を得ると共に、ほとんどの女子から盛大に引かれた。
なんつーか、ままならないな・・・、と思いました。
ちなみに、先生の”いちばんきれいなもの”は、
”実家のそばにある電柱の、電線越し見た青空”だそうです。
意味解んねえ、と思いましたが、
「写真あるよ。ていうか壁紙だし」
といって、先生が見せてくれた携帯のディスプレイは異常に格好良くて、
画家は写真も上手いんだな、と思いました。
いつだったか、”イエスタデイをうたって”で読みましたが、
連続する瞬間の、一瞬の輝きを捉えるのは、なんかもう凄すぎて、想像さえ困難です。
駄目じゃん・・・・。
まあ、僕、べつに芸術家ってわけじゃないし・・・。
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