いや、説明とか苦手です
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 前にも書いたことがありますが、 人間のどこに心があるのか、というのは、 ぶっちゃけ、よくわかっていません。 心とか、感情とか、俗にクオリアというものは、 どうやら脳で認識しているみたいですが、 突き詰めれば、脳だって細胞から出来ているわけで、 細胞だって、元素から出来ています。 元素から人間になるまでの過程の、どこで”心”が成立したのか? 逆に言えば、既に元素の段階で”心”は成立しているのか? そこら辺が、なんか空白っつーか、だからなに?みたいなことになっています。 なので、仮説を立ててみました。 元素とかは、どうでも良いです。無視。つーん。 細胞に、”心”があるとします。 細胞のひとつひとつに心があるとすれば、 ときに矛盾した思いを抱くのも、自分で自分がよくわからないのも当然ですね。 人間の細胞の数は60兆個と言われていますから、 60兆個の自我が常にせめぎあっていると思えば、 むしろ、矛盾しないはずがないようにすら思えます。 だから、矛盾はします。 心が、ひとつじゃないから。 心が、ひとつじゃないなら。 きっと、矛盾をします。 うれしくても、どこか悲しくて。 寂しくても、どこか楽しい。 そう考えると、人間ってフランス映画みたいですね。 フランス映画は嫌いですけれど。 要するに、どんなに辛くても、どんなに苦しくても、 どんなに、どんなに悲しくても、どんなに、どんなに、 どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、 どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、 どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、 どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、 どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、どんなに、やってらんねえ!もう死にてえ!と思っても! それを矛盾させて、歪ませれば、ぜんぜん大したことありません。 すべてに向き合えば、あっという間に殺される。 60兆個の細胞じゃ、足りない。生きていけない。やがて確実に死ななければならない僕。 現実はでかすぎて、死は近すぎて、何もかも諦めて投げ出したくなる。 自我が切なすぎる。目の前で起こることの説得力に抗えない。翻弄される。 夢も見れない。何もない。眼を逸らした先に口を開いて僕を待つ暗闇。自分以外。 理解できない。理解してもらえない。孤独。時間。主観。耐えられない脆さ。 あらゆる要素が奇跡的に絡み合って、うぜえ。気が狂いそうだ。破壊衝動。ぶっ壊したい。ぶっ壊されたい。 でも、矛盾させれば、それは別の概念に取って代わり、早変わり。つまり逃避です。エスケープフロムバッドミー! 逃避は生きるために必要な技術ですから、自然ですね。間違ってなければ正解なのかと言われれば、正解は間違ってないのかと訊き返します。ファック偽善者(自分を含む)。自己満足に付き合わされるのは、もうたくさんだぜ!本当のこと以外は聞きたくねえ!知りたくねえ!したくねえ!考えたくねえ!ちょっと傲慢に生きるという決意。宣誓。になっちゃった。結果的に。そんなつもりじゃなかったけど。まあ良いけど。 たとえば、誰かが流した涙があるとしますよね。 たった一滴でも、1リットルでも良いですけれど、 その涙に別の液体を足せば、それはもう涙じゃありませんよね。 それは”元涙”ですけれど、いまは”名もなき水溶液”です。 あとは名前を付けりゃ良い。 ”優しさ”でも、”幸せ”でも、それが誤魔化しに過ぎなくとも、 とっくに破綻して、取り返しが付かないことになっていても、 なんつーか、関係ない。自由。しんどいけども。しんどさと引き換えの、権利。 第一、人間には三次元しか知覚できないのですから、 その程度の主観では、自分が正しいのか、自分以外が正しいのかなんて、 正確に認識できるはずもありません。 誰かにとっての現実が、誰にとっても現実であるは限りません。 距離があれば伝わらないし、伝わっても、情報には齟齬が生じます。 だとすれば、何もかもが矛盾していてもおかしくありませんね。 正しさを立証できない世界では、涙は意味を持たず、ただ零れるだけ。 誰もが矛盾し、やりきれなさを抱えながら逃避して誤魔化し、 目の前にあるものを受け入れるしかなくてーーー、ひたすら自分に言い訳をしている。 人類皆兄弟って、兄弟で戦争なんかしないし、愛し合ったりもしねえっつーの。とか。 なんか、まとめる気ゼロで適当に書いたら、やたらと弱音が目に付きますね。 追い詰められてるって感じ。 そういえば、窮鼠猫を噛むという古事がありますが、あれはどうかと思います。 猫を噛むなよ、と。可愛いじゃん、と。 でも、もともと猫が鼠を喰おうとしているわけですけれど、それに対しても、 喰うなよ、と。グロいじゃん、と。 とはいえ、僕も牛とか豚とか鶏とか喰べているわけですが、たまに思います。 これって死体じゃん、と。キモいじゃん、と。でも旨いじゃん、と。 本能がなければ、とっくに死んでいたかもしれません。いや、どうだろう。 観測していないから、なんとも言えませんけども。 精神分裂と細胞分裂って、なんとなく似ているし。 悲しくても、それを矛盾させれば、それは”悲しみ”とは別の概念ですから、 自分を慰めるには、まあまあ良いと思います。 もっとも、その思考自体が悲しいことを除けば、ですけれど。 PR ![]() ![]() |
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男性
誕生日:
1986/12/14
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古い映画のパンフレット収集
自己紹介:
宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。 座右の銘は酔生夢死。 最近、 日記の意義を見失い、迷走中。 眠れない夜に更新。 優しくなりたい。 ドムドムハンバーガーが大好き。
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