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いや、説明とか苦手です
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 最近、絵、描いてないなー。
 2ヶ月くらい?とか、ぼんやり考えていたのでしょうか。
 
 気付いたら、右手にボールペンを握っていて。
 気付いたら、描いていました。
                                                                                              
 20100210205923.jpg
 
 






























 








 右足・・・、だと思います。
 
 見た感じ4~5分クオリティ。 
 ていうか、画像でかっ。

 すべて無意識のうちの行動らしく、
 さっぱり描いた記憶がないのですが。

 いきなり目の前に現物が現れた感じ。
 怖いですね。

 あれ?みたいな。

 というか、今回は絵という解り易い物証がありましたが、
 もしかすると、けっこう頻繁に4~5分くらいの記憶を失っていたりして・・・。
 
 ・・・・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・・・・。 
 
 こわっ。
 怖すぎました。
 
 あ、ぜんぜん関係ありませんが、
 僕、つい最近まで2012年の気分で過ごしていたのですが、
 実は2010年でした。
 まじかよ・・・、時を掛けちゃった気分だぜ・・・。
     

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 押入れの収納を整理していたら、
 過去の日記や、スケッチブックが山ほど出てきました。

 ちょっと晒してみましょう。


 『にんげんがじゃがいもでできていたら』
 
〝 もし、人間がじゃがいもでできていたら・・・・
 食うだろう・・・こう、うしろからガブリッと[食]だろう。
 ケンカなんかしたらもう大変、体の食い合いになる
 だから、こんなこともある。「あっ手が食われたー!」
 や、「コラー手をくうなー!(泣)」なんて毎日だ。
 プロレスなんてもってのほかだ。もし人(いも)が死んだら、
 みそ汁いきだ。だからこんな事も考えられる。金がない時、
 自分の体を食ったり、「母さんオレの体をくってくれぇ!」
 なんてこともあるのだ。なんか生々しくて
  イヤだ・・・・・・---・・・・・ 〟


 ーーーだそうです。
 これは、たぶん小学生の頃の日記ですね。
 今から十数年前。
 そんな頃から、僕は日記というのが苦手だったようですね。
 その日の出来事、なにひとつ書いてないし。
 
 ていうか、狂おしい。
 なんだよ、じゃがいも人間って。怖いよ・・・。

 

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 結局のところ、
 印象というのは一種の刷り込みのようなもので、
 ポイントを抑えた演技をすれば、
 第三者から本質を見抜かれることは滅多にないだろう。
 心が眼で視えない限り。

 そういう目的ーーー、つまり他者を円滑に利用するための意図的な誤魔化し的な、
 まあ、要するに、欺瞞の技術を磨くことが大人への道なのだと思う。
 そして、世のなかは、そういうふうに出来ている。
 というか、大昔から個々人が回避してきたリスクが、
 時代を経て、現在の我々のコストに上乗せされ、
 健全な思考をするための余裕を奪ってゆく。

 なので、年を重ねた人間ほど卑怯者であることが多い。
 悪意に晒され続けて、真っ赤に染まった血塗れ泥塗れの人生。
 そりゃあ、他人を騙したくもなるだろう。
 誰だって傷付くのは嫌だし、楽したいだろう。
 しかし、世のなかの常識という奴は、それとは真逆のことを強制する。
 自ら他人のために傷付き、苦しんでいる人間を褒めまくっている。
 まあ、その行為に気高さが宿っているなら、まだ良い。それは美しい。
 しかし、なんつーか、闇雲に、ひたすら自己犠牲しなさい、みたいな、
 誰かのために、とかじゃなくて、
 自己犠牲するという行為自体が目的となるように誘導されているような感じがあって、うんざりする。
 社会的であることと、人間であることが、真っ向から矛盾している。
 その結果、
 まわりの人間に¨自分¨を消費され、
 残った¨自分¨を、さらに自分で消費する羽目になる。
 そんなふうに没個性っていると、
 バランスを保てなくなる者が多くなるのは、むしろ自然であるように思う。

 犯罪の低年齢化とか、性の低年齢化とか、
 とりあえず報道しとかないとね、とか、
 とりあえず叩いておかないとね、という感じだが、
 そういう情報は、当の低年齢層が視聴できるメディアに乗せたら逆効果だし、
 それくらい解ってるくせにやってるんだろうから、もう救いなんかどこにもない。
 目先のことしか考えていない。クールですね。クールビズですよ。
 第一、きちんとした判断能力を持った大人なんか、そんなにいないのだ。
 子供を授かって、それでようやく自覚が出てくるような有様だという話すら聞く。
 まあ、それなら、まだ良いほうで、
 子供を授かっても、依然として精神が子供のままの親もいたりする。
 これが、いちばん最悪で、
 要は、子供が子供を産んでいるわけで、
 親の精神は、もうずっと子供のままであろうから、
 そうなると、生まれた子供が大人になるしかない。
 いわゆる、親よりもしっかりした子供という奴で、
 いちばんアンバランスな時代に親が全く役に立たないという経験をしている子供が、
 安定しているわけがない。
 必然、早熟になり、出会ったもの全てを吸収する。
 善も悪もない。善も悪も、誰も教えてくれなかった。
 それで、犯罪や性行為に及んだとして、責められるわけがない。
 悪いのは親だし、ほかの人間全員だし、つまり世のなか全てだ。
 しかし、世のなかには実態がない。責めようにも不可能に近い。
 だから、安易に子供を責める。
 くだらないオチを付けて、強引に終わらせて、形式だけの安堵に浸る。
 子供は心を閉ざすだろう。
 そして、その子供たちが未来を作っていくのだ。
 
 学生の頃から、
 他人と区別するためだけの無意味な勉強を詰め込まれ、
 何回組織を卒業しても、立場が変わっても、やっていることは同じで、
 やらなくてはならないこと=タスクが累積し、思考する猶予を与えてくれない。
 そういうオーバーワーク状態の人間が、
 社会規範に則った立派な大人のイメージとして世間に定着している。
 これは、まあ、普通に異常なのだが、
 ずいぶん以前から異常な状態を続けているせいで、
 異常が日常となり、それに異を唱えることが異常という、
 言わば、裏も表も裏みたいな歪な現代社会。キモいですね。
 ゆとり世代とか言いながら、ゆとりなんて全くないし。
 どちらかというとゆとりがあったのは、もっと上の、
 今、30後半~40くらいの人たちの世代で、
 そんな世代の連中が、ちょうど上司とかになっちゃって鬱陶しいことこの上ない僕に(あ、断定しているのは、実際に嫌なことがあったからです)ゆとりなんかあるかって話ですよ。ええ、そうです。愚痴ですよ。
 嫌なことがあったからって、安易に世のなかのせいにしてんじゃあねーぞ、
 この若造がッ、というような、
 ご意見ご感想もあるとは思いますが黙殺します。悉く。恣。読めますか、漢字。葱とか。葱々。

 あ、印象の話でした。
 印象は永遠という話です。
 他人がしてたら嫌なことでも、
 好きな人がしてたら、そんなに嫌じゃないってことですよ。
 その最たる例がセックス。
 愛は性の冤罪符にもなるのですね。便利ですね。空虚ですね。儚いですね。素敵ですね。
 まるで廃墟に転がっている瓦礫みたいな扱いですが、そういう趣味の人もいるし、
 きちんと優しく包み込める人もいると信じたい。けど、信じられない。
 なので、わたしがそういう人になる実験中。
 人生は無意味じゃない。誰かのためになるのなら。
 
 印象が定着すること。
 スタンダールは、それを結晶作用と呼んでいましたね。
 それだけ覚えています。

 とある書物では、心を水のようなものだと表現していました。

 心は、水のようなものだから、
 常に揺れていないと凍ってしまう。
 だから感情があるのだ、と。
 
 いや、単に引用しただけで、特に深い意味はありませんけど、
 なんか、こういうのってブログっぽいじゃないですか。
 

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 風邪治りました。だいぶ前に。
 お見舞いパンデミック。
 そしてアウトブレイク。
 有害人間宣言ことRegnenです。
 ご理解の程を。

 無知の知、という言葉があって、
 正直、まったく意味不明なのだが、
 ちょっと頭良さげな雰囲気があったので、
 色んな無知な連中が引用しまくった。
 何百年も前にね。
 その結果、解釈が様々に派生し、
 誰も収拾できなくなり、
 哲学の常であるところの、
 そうだとも言えるし、違うとも言える、すべては認識のなか、というような、
 曖昧にしてしまわないと、下手なことを言って間違ったら格好悪いし、
 格好悪いのは嫌だし、
 という見栄のせいで、正直者が残らず卑怯者に変わり果てた。
 という経緯なのか、どうなのかは知らないが、
 ふと気になったので調べてみたら、
 まったく解答が得られず、ちょっと不満。
 まさに見栄パンデミック。
 さながら卑怯者ホリデイ。
 横断歩道は一人で渡れ!
 女子供と老人優先(主観的かつ独善的)!
 あれ、なんか言葉の暴力都市って感じですね。
 
 回りくどかったですか?
 でも、思っていることを率直に表現するには、
 遠回りが近道なんですよ。
 あ、これは哲学じゃなくて持論です。
 道は譲りますが、持論は譲りません。
 不確かなものを譲るのは無責任の極みですから。
 無責任って、3番目に格好悪いじゃないですか。

 きみは男か?
 それとも漢か?
 あるいはBOØWYか?
 すべては唐突、人生は凹凸!
 格好悪いランキング、ベスト3っ!
 
 第3位!
 無責任。
 これはさっき言いましたね。
 
 第2位!
 いじめ。
 るのも。られも。
 悪いのは世界なんだよ。
 傷付いた心で、牙を鋭く尖らせろ!

 第1位!
 依存。
 気が付けば手遅れ。
 ハンドバック、テイクバック、ペイバック!

 以上、どうでもいいランキングでした。
 どうでもいいことでも書いていきますよ。
 だって、ブログだもの。
 
 無知の知、を独自に解釈すると、
 知らない、ということを自覚している状態、
 つまり、我輩は阿呆であるという阿呆のほうが、
 我輩は天才であるという阿呆よりも、
 相対的に阿呆ではないように思われる、みたいな。
 あれ、謙虚であれよということ?
 そんなんじゃなかったように思われる。

 まあ、ソクラテスがいない時点で、
 何を言っても手遅れなのですけども。
 ところで、我輩は猫であるって阿呆である、と思われる。
 考える葦とか言われてもね。

 実生活で、ああ、僕って阿呆である、と思うことは、
 通常の、健康な精神状態なら、まあ普通はあまりないだろう。
 他人が本人をどう思っているかなど知る由もないが、
 おそらく自分の常識を、
 (一部例外はあるが)世間(自分の影響圏内)の常識だと考えているであろうから、
 というか、そうでなければ逆に日常生活に支障があるだろうから、
 基本的に誰もが自信満々である。美しいね。
 特に眼に見えるものに関してはうざったいくらいに頑なである。
 眼に見えるものはただの記号であって、
 それ自体は意味を持たないが、そんなことを言うのは野暮みたいな有様である。
 色の認識とか、けっこう曖昧だと思うが。物理的にというか、性能的に。
 ある程度固定した色の認識があったとしても、
 それは人間の話であって、
 虫は色を認識しないし、深海魚に至っては眼球自体が退化してしまっていたりする。
 普遍的じゃなく、限定的な内容であっても、
 狭い範囲で認識を歪ませるのが、まあ、平和の正体で最悪だが。
 料理って、大体は何かの動物の死骸だし。
 ビジュアルはビジュアルでしかないということを言いたいわけですが、
 伝わっているかな。
 言葉のドッジボール。ドッジ弾平って知ってますか?メガドライブのゲームですけど。

 違いました。
 無知の知でした。
 逸れた話が拡がって困る。趣旨を忘却してしまうから。

 ええと、つまり、色んなところを端折って、強引に辻褄を合わせると、
 認識は相対的な概念ですから、
 何の切っ掛けもなく、唐突に、
 僕は阿呆である、と思うような奴は、
 阿呆というよりも天才だし、天才というよりも論外です。
 何かの影響を受けて、相対的に自らの立ち位置を把握する、という順番が、
 まあ、言わば自然な思考の流れだと思います。
 
 自分で自分を阿呆だと思うのではなく、
 自分よりも頭の良い奴がいる、と認めた時点で、
 相対的に、自分はこいつよりも阿呆である、と思わされる、というわけです。

 でも、自分より少し頭が良い程度の奴では、
 まあ、気付かないでしょうね。

 自分の3倍~5倍くらい頭の良い奴にぶち当たると、
 あー、これはあれだ、自分(の頭)が悪いのだな、と割りとすぐ解ります。
 学力とか、成績だけじゃなく。
 なんつーか、頭が良い奴は ¨間違わない¨ 。
 正しい手順を重ねれば、正しい結果に収束するという予知能力者。
 いや本当、2時間くらい先の未来なら言い当てそうな。
 そして言葉に重みというか、説得力がある。的を射ているから。
 あらゆる事象を論理的に証明してくる。
 現象の上っ面しか視ることのできない自分との差は歴然で。
 ああ、阿呆だ。僕は。こいつよりも。となります。清々しくもなります。猫になります。丸くなります。がんばります。
 
 しかし、そういった経験は、ほとんど幼少時代に限られますね。
 いや、別に僕の頭が良いとか、そういったことじゃなく、世のなか的に。
 世のなかっていうのは、早い話が、でかい利害関係なので、
 使える人間と、使えない人間っていうのは早いうちに差別区別します。
 学校なら学力で、会社なら成績で。
 組織はフィルターですから。
 ある程度、自意識を意識する頃には、
 まわりに自分と同レベルの固体しかいない、というのがザラです。
 類友というか、類肉。
 で、日本は和を重んじるので、同じレベルの奴らと馴れ合う空気があり、
 そこで更に要領の良い固体と、要領の悪い固体に分類されます。
 あるいは淘汰されます。
 なので、まわりを見渡してみると自分のレベルが解ります。
 日本という国の特色のひとつですね。
 
 あー、書いているうちに、
 何を書こうしていたのか、さっぱり忘却の彼方。
 まとまらない無知なる我がプリン体。
 
 でも、無知って、無垢ですよね。
 まあ、無垢って、阿呆ですけど。
 駄目じゃん・・・。

 風邪を引くとか、身体弱ってるなあ・・・。
 たぶん寝てないからだと思うけれど。
 花粉症にはなったことがないけれど、このぶんだと、そろそろやばいかも・・・。


 
 
 

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37
性別:
男性
誕生日:
1986/12/14
職業:
学生
趣味:
古い映画のパンフレット収集
自己紹介:
宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。
座右の銘は酔生夢死。
最近、
日記の意義を見失い、迷走中。
眠れない夜に更新。
優しくなりたい。
ドムドムハンバーガーが大好き。
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