忍者ブログ
いや、説明とか苦手です
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


 トラップペルに特に意味はありません。
 タイトルが”整合性”だけでは、さみしいというか、
 しっくりこなかったので、取って付けました。
 
 西尾維新以降ですか?
 漢字や、かなタイトルのあとにカタカナを足すようになったのは。
 あれは、本当に、しっくりくる。なんつーか、名詞として。
 口に出して発音したときの気持ち良さがぜんぜん違う。

 ギャグなんかでもそうだと思いますが、重要なのは鮮度よりも快感です。
 アクション自体や、アクセント自体に快感があれば、それがそのまま耐久度になります。
 どんなに恥ずかしくとも。
 なんか楽しそうだったり、気持ち良さそうだったら、我慢できないんですよ。
 人間は快楽に弱い。弱い、というか奴隷です。
 ご存知の通り。
 まあ、快楽というのは、突き詰めると痛覚なんじゃないのかなー、とか思いますけど、
 まあ、思うだけで、考えないようにします。なんとなく。

 僕は、自分のことを普通に普通の人間だと思っていましたが、
 もしかしたら、自分で思っている以上に普通の人間かもしれません。
  
 僕は、整合性を気にするからです。
 絵を描いたことがあるからでしょうか。
 絵、というのは、要するに”線”なのですが、この”線”は”人間を描くぞ”の線なので、
 極端なデフォルメというか、異常に頭部が大きかったり、
 骨格に矛盾していたり、その筋肉は何なの、みたいな絵は描かないように気を付けてきました。
 ”既に成立している概念”を”崩す”には、ちょっとありえないくらいの技術が必要だからです。
 ピカソ然り。ピカソの人物デッサンがめちゃくちゃ上手いのは有名な話ですが。

 あと文章を書くときにも、いちおう辻褄を合わせようとはしますしね。
 ほとんど成功した試しがありませんけれど。
 ・・・駄目じゃん。
 
 そんな感じで、”整合性”を気にする僕は”違和感”にも敏感です。
 まあ、これは”想像力”とも関わってくるので触れませんけれど。

 ちなみに、僕の”整合性”は”論理”寄りなので、
 多少の歪みは証明で補正されます。
 わりと寛大な認識。
 
 しかし、人間って、論理的じゃありませんよね。
 意図を聞いても、理解できないような行動を取ること多々ですし。
 精神を病むと、特に。
 リミッターが外れるんでしょうね。
 整合性、というかバランスが取れてないというか。 

 まあ、初期型の白くて重いゲームボーイで、
 ラストバイブルを8時間くらいぶっ続けでプレイし、電池が切れたので、
 ふと我に返り、ブログでも書くかー、とかやってる僕の言えたことじゃありませんけれど。
 
 あー、セーブは頻繁にしていたから、そんなダメージはないけど、
 なにもレベルアップ直後に落ちることはないだろうに・・・。

 ちなみに、同時に、
 ドラクエモンスターズと、マリオランド2を平行プレイ中。
 いつも同じ場所でマリオが死にます。
 ていうか、僕が殺しているのですけど。
 なんか、ちょっとした自殺みたいな勢いで死にまくるんですよね・・・。
 狙い澄ましたかのようにトラップが配置されていて・・・。
 10年以上の作品のほうが、いまの作品より面白いのは、
 逆説的に今の作品が面白くないということを証明しているということかな。
 ただ、懐かしいだけかな。
 どっちも、悲しいことに変わりはなく、
 ゲームという器の代わりもなく。
 
 ”面白い”が連続する。
 ”矛盾”が面白い。
 だから、ゲームは好きだ。
 名作と言われるゲームは、矛盾しながらも、同時にバランスを保っている。
 奇跡ですね。
 ハマるわけだ。
 
 ゲームばかりして、馬鹿になります。
 馬鹿になって、幸せになります。
 幸せです。
 電源を落とすまで。
 四角い画面のなかで。 
 狭い世界で、飽きるまで踊る。

拍手[0回]

PR


 狂うほど、大切なものがありますか。

 狂ってる奴は、眼を見れば解ります。
 どんなに距離があっても、眼が合えば瞭然です。
 たぶん、直視できないはずです。
 あまりに綺麗で、綺麗すぎてーーー、作り物みたいな。
 怖いくらいに澄んでいて、なんつーか、迷いみたいなものが一切ない。
 何も映っていない。

 以前に何かの本で読んだのですが、
 ヤクザによると、暴力において最も重要なのは躊躇しないことだそうです。
 
 でも、普通は無理ですよね。
 普通は、迷いがある。
 
 では、なぜ迷うのかといえば、まあ、だいたい保身でしょうね。
 やりすぎると、色々と失うことになるので。
 
 失うものがある人は、あるだけ失いますが、
 失うものがない人は?
 まあ、順当にいけば生命を失いますね。
 
 ”失った”っていうのは、不自然な状態で、
 まあ、大体は奪われてます。
 
 ああ、いや、脱線しました。

 狂えるか、ということです。
 
 色々と理不尽なときに現実に立ち向かうためには、
 そういう”狂い”が必要なんじゃないかなー、とか。
 
 常識とか。

 自制できないレベルで、むかついてるときに、いちいち手続きをしますか?
 
 がんじがらめですよ。
 でも、それは”そう思っているから”です。
 
 ああ、また脱線していますね。
 
 まあ、”守る”っつーのは、同時に”壊す”ことでもあって、
 その加減ってのは狂ってなければ解らないんじゃねーかなー、みたいな。
 
 いや、違うな。
 そうじゃない。
 なんか、ぜんぜん違う。
 忘れてください。

 なんか大切なことのために、
 色んな奴から「おまえは狂っている」と指を刺して笑われても、
 まるで動じない気高さが、勇気がありますか。

 
そこまで大切なものがありますか。

拍手[0回]


 ---中学時代、美術室。
 
 真っ白な画用紙を前に、僕は途方に暮れていた。
 特に、描きたいモチーフがないのだ。
 真っ直ぐな線すらまともに描けないのに、モチーフだなんて生意気な感じだが、
 未熟だからこそテーマを明確にすることが重要だと、僕は思う。
 あらかじめ方向性を決めておかないと、イメージをコントロールできずに破綻してしまう。
 そういうわけで、かれこれ30分は固まっていただろうか。
 美術室は静かで、僕と先生のほかには誰もいない。
 それもそのはずで、時刻は朝の6時半。
 文系部活なのに朝練という、微妙に歪な状況。
 まあ、その代わりに通常の、放課後の部活には滅多に参加しない。
 「むむむ・・・」
 ぜんぜん、まったく、さっぱり思い付かない。
 こうなってくると、ただの画用紙が強烈に存在感を増す。
 小さな画用紙なのに、広大な砂漠のように思える。
 描かなければならないのに、描けないという強迫観念。
 追い詰められて、余計に思考が束縛されるという悪循環。
 そんな僕を見かねたのだろうか。
 先生が声を掛けてきた。
 「きみはなにがしたいの」
 「絵を描きたいです」
 「じゃあ、きみはなにを描きたいの」
 「それが、わからないんです」
 「おかしいね。描きたいものがわからないのに、描きたいの」
 おかしかった。
 明らかに僕の思考は矛盾していた。
 僕には、もうモチーフがないのだろうか。
 僕のモチーフは有限で、知らずに全てを消費してしまったのだろうか。
 「きみは混乱しているんだね」
 そうなのだろうか。
 そう言われれば、そんな気もする。そうでない気もする。認識できないので、自覚もできない。
 「モチーフがなくなることはない。心がーーー、感受性があるかぎり。
 何かに美しさを感じたり、何かに醜さを感じる限り、その基準となる意識がある。
 それが、きみのモチーフだよ。きみだけの才能だ」
 才能という言葉に、僕は恐怖する。
 優れた人間は、それだけで悲劇だ。
 衝撃は加速度に比例する。挫折も。環境も。
 リスクの桁が違う。
 背負っているものが、違う。
 僕は、それを知っていた。最悪なことに。
 「きみは、まだ基準が曖昧なんだろうね」
 「というか、話が抽象的すぎて付いていけないのですけど・・・」
 「うーん、まあねえ。わたしが理解していることと、それを説明することは別だからねえ。
 なんていうのかなあ、ええと・・・、あー、そうだ。
 きみはさ、”いちばんきれいなもの”を答えられる?」
 「なんですか、それは」
 「きみ、いま何歳だっけ」
 「15です」
 「15年間の人生のなかで、何が、いちばんきれいだった?」
 先生は一見すると、いつものニヤニヤ笑いだったが、眼だけは鋭いような気がした。
 まるで、僕を試しているように。
 いや、実際に試しているのだろう。   
 これは、そういう質問だ。
 先生は僕ではなく、僕の才能を視ている。
 考えてみると、確かに自分のなかの基準は曖昧だった。
 日常生活において、”これは格好いい”とか”これは最低”とか、色んな判断をするが、
 その判断が何の基準に基づいているのかというと、よく解らないのだった。
 好みや趣味は先天的なものもあるかもしれないが、おそらく大抵は後天的なものだろう。
 育ってきた環境で培った価値観が、色んなものの影響を受けた集大成が、”基準”だ。
 ”基準”は常にあった。無意識に、慎重に。僕は積み重ねてきたはずだ。
 でも、何を?
 僕は、あまりに無防備だった。
 価値観が秒単位で薄くなっていき、今じゃ、後ろが透けて見えるほど。
 「・・・・・・」
 「この問いに答えられるものは、そうはいない。
 即答できるほどの自信を持っている人間は少ない」
 「・・・・・・」
 「きれいなものとは、単純に”物”には限定されない。
 感じるものなら何でも良い。たとえば”音”でも。
 この程度の思考すらできない者もいるがーーー」
 先生が何か難しいことを言っているが、既に僕は聞いていなかった。
 どうせ、聞いたってよく解らないのだ。
 解らないことは後回しで良い。解ることを先に優先しよう。
 僕は知っているはずだ。僕の”基準”を。僕のルーツ。
 いちばんきれいなもの。
 見たことがあるはずだ。
 だって、僕には眼がある。色んなものを見てきた。
 知っているはずだ。
 だって、僕には脳がある。色んなことを考えてきた。
 覚えているはずだ。
 だって、僕には言葉がある。認識したはずだ。
 消去法で、残ったものが解答だ。
 これまでの僕の、人生の、すべてだ。
 そこで。
 唐突に閃いたことがあった。
 「・・・わかりました」
 「へえ、わかったの。聞こうか」
 「人間です」
 人間だった。
 「もう少し説明が欲しいな」
 「人間の構造です」
 たとえば、顔のパーツのバランス。
 あんなもの、思い付ける気がしない。
 内臓の位置。
 少しでも間違えば、死に直結する。
 骨。筋肉の流れ。
 なんかもうデザイン的に格好良すぎる。
 神様なんてものがいるとしたら、きっと凄腕のデザイナーだろう。
 そして裸。
 「そのなかでも、僕は人間の裸がいちばんきれいだと思います」
 裸の人間の曲線が、すべてのデザインの基本なのじゃないかという気さえする。
 「なるほどね」
 「え、それだけですか」
 「ん?そうだよ。きみが描きたいものは、それでしょう」
 あ、そういえば、僕はモチーフを探していたのだっけ。完全に忘れていた。
 
 そんな感じで。
 僕は、ひたすらヌードデッサンに明け暮れていたのだった。
 
 ある日、テストが早々に終わったので(というか、終わらせた)、
 テスト用紙の開いたスペースに落書きをしていた、という記憶があった。
 記憶があった、というのは完全には覚えていなかったからだ。
 当時の僕は、”ほんの少しでも余白があれば何か描き込まずにはいられない病”だったので、
 なんとなく何か描いたような印象はあったが、
 なにぶん、それが日常なので、なかば無意識化していて、何を描いていたのかまでは覚えていなかった。
 で、テスト返却のときに問題用紙も一緒に返却されるのだが、僕だけ名前が呼ばれなかった。
 おかしいな、と思っていたら昼休みに職員室に呼び出され、めちゃくちゃ怒られた。
 問題用紙の裏に、でかでかと裸婦デッサンしていたのだった。
 しかも、その頃は個性を模索していて、少し浮世絵風に曲線を主張させていた。
 端的に言うと、むっちりとした肉感を表現しようと試みていて、もうぶっちゃけて言うとエロかった。
 たぶん、それが良くなかったんだろう。というか、単に落書きが気に入らなかったのかもしれない。
 まあ、そのあたりは僕の与り知るところではないが、
 説教されつつ、キャンバスと化した問題用紙を回収し、教室に戻ると、
 なぜか事の顛末がクラス中に筒抜けであり、
 その日以降、クラスの連中が僕に話し掛けるときに語尾にエロを付けるようになり、
 一部の男子から絶大な支持を得ると共に、ほとんどの女子から盛大に引かれた。

 なんつーか、ままならないな・・・、と思いました。
 ちなみに、先生の”いちばんきれいなもの”は、
 ”実家のそばにある電柱の、電線越し見た青空”だそうです。
 意味解んねえ、と思いましたが、
 「写真あるよ。ていうか壁紙だし」
 といって、先生が見せてくれた携帯のディスプレイは異常に格好良くて、
 画家は写真も上手いんだな、と思いました。
 いつだったか、”イエスタデイをうたって”で読みましたが、
 連続する瞬間の、一瞬の輝きを捉えるのは、なんかもう凄すぎて、想像さえ困難です。
 駄目じゃん・・・・。
 まあ、僕、べつに芸術家ってわけじゃないし・・・。
 

拍手[0回]


 書いた文字が消えてゆく・・・。

 あれ、どうしたんだろう。
 やべえな・・・、もしかして、僕、呪われた・・・?
 
 ---という夢を見ました。
 完全にホリック。

 

 スーパーゲームボーイを仲人にスーファミと結婚したゲームボーイウォーズ(擬人法)の長すぎる思考時間に、ぼんやりと考えたこと。
 
 文章は1次元。
 絵画は2次元。
 立体は3次元。
 想像は4次元。

 僕は、どうにも点で思考しがちですが、
 そろそろ”点”を突破して、”面”で思考すべき段階なのかも。
 いや、ぜんぜん解りませんけれど。なんだ、”面”って。
 視野が足んねえな、と。もっとまわりを見て、洞察すべきだなあ、みたいな。
 
 ”面”は3次元ですね。なんとなく。
 現実を理解しようとすると、
 ”可能”か、”不可能”かの二元論でしか認識していない場合が殆どです。
 出来るか、出来ないかじゃない判断材料。なかなか見つかりませんけれど。
 
 二元論は楽ですが、たまに違和感が残ります。
 大事な部分も一緒に切り捨ててしまったような。
 そういうの、いやなので、ちゃんとしないとなあ・・・。

 ゲームで言うと、
 画面が増えるとかじゃなくて、画面から匂いが漂ってくるとか。 
 そういえば、リアルマネートレードは、ある意味で3次元でした。時代を先取りしすぎましたね。
 きちんと取り締まる技術も、法律も整備されていなかったので、問題になりましたけど。
 虚構が現実に追い付いてきたって感じでした。
 

拍手[0回]


 結局、誰もが勝手なことを主張しているだけなんですから、
 ”常識”もなければ”正しさ”もありません。
 義理がが廃ればこの世は闇よ、と言いますが、
 は、とっくに闇に包まれていたってわけです。
 お笑いですね。大笑いです。あとちょっと泣きたくなります。泣きませんけども。

 他人はどうだかーーー知ったことじゃあ、ありませんが。
 僕の業は、解って、解りすぎることみたいです。
 間違ったことが。
 正しいことは、なにひとつ。
 わからないのに。

 何が間違っているのかだけは、解る。嫌になるほど。
 たぶん、僕自身の間違い続けた歴史が反応しているのでしょう。
 その道は以前に通ったことがあるぜ。
 ほら、そこに。真っ赤な目印があるじゃん、みたいな。

 ”正しい”という概念は基本的に後付けなんですよ。僕が思うに。
 消去法で”間違い”を消していって、残ったものが”正しい”ってことになっているだけです。
 で、その作業には本当なら全人類、
 というか全生物、というか全動くものが参加しなくちゃならないんですけど、
 まあ、無理ですから。
 人類は大体が自己中ですから揉めて、どうせ戦争になりますし、
 動物は何を言っているのか解りませんし、何か言ってるのかどうかも解りませんし、
 プランクトンとか、細胞とか、植物とか、そもそも対話という概念が通用しませんし。
 だから、まあ、色んな時代の、うまいこと偉い地位を得た人とか、
 生まれつき偉かっただけの人とかが、”何が正しいのか”というガイドラインを作ったんですね。
 でも、そんなの、そいつらの主観で勝手に主張してるだけなんですよ。
 大体、順番が逆なんですよ。
 ”何が正しいのか”じゃなくて、”何が間違いなのか”を決めるべきだった。
 多少、解りづらくても、一生懸命に説明すべきだった。
 だから、今。
 空っぽの”正当性”を主張するばかりで、
 ”何が間違い”なのかが解らない馬鹿ばっかりなんじゃねーのかなー、とか。
 手を抜いたんですよ、昔の奴らは。
 安易な方向に流れやがって。むかつくぜー。
 まあ、そのなかには僕自身も含まれる矛盾ですけれど。

 そういう”解りやすさ”が、色んなことを曖昧にして、
 大事なことを誤魔化すのが、めちゃくちゃむかつくんです。
 
 正しさの理由なんて答えられる奴、いないでしょう。
 いたら、まあ、馬鹿とか、宗教とか、本当に正しい人でしょうけど。
 でも、間違っている理由は誰だって答えられるはずです。
 理由があるから、否定せざるをえないだけです。
 そして、それを本能的に嗅ぎ分けられるのが子供なんです。
 
 なんか大昔から、積み重なってますけど、”正しい”という決まりが。
 知ったことじゃないんですよ。
 本質は”誰にとっての”正しいなのか、ですから。
 
 フォレスト・ガンプという映画があって、
 まあ、観てないのですが、その関連書籍を読んでいて、
 こんな一節がありました。うろ覚えですけれど。
 ”地球は丸いと皆は言う。
 でも、いやだったら信じなくていい”
 腑に落ちました。
 エゴの相対性理論。

 なんか、色々とルールがあるみたい。
 でも、それは、そいつが勝手に言っているだけ。
 僕は何かむかついていて、確かなものは、そのむかつきだけ。
 なら、そのむかつきが、僕にとっての真実だっていう、それだけのことです。
 
 これを解るまでに22年は掛かりすぎだなあ・・・。
 ていうか、小学生くらいのときにちらっと考えたけど、
 常識とか、親の顔色を伺ったりが邪魔になって、思い直しちゃったんだよなあ・・・。
 まあ、”自分を信じる”というのは、しんどいという話です・・・。
 駄目じゃん・・・。
 
 

拍手[0回]



忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[04/12 Regnen]
[04/11 コゲチャ^^;]
[02/11 コゲチャ^^;]
[02/11 Regnen]
[02/11 Regnen]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
Regnen
年齢:
37
性別:
男性
誕生日:
1986/12/14
職業:
学生
趣味:
古い映画のパンフレット収集
自己紹介:
宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。
座右の銘は酔生夢死。
最近、
日記の意義を見失い、迷走中。
眠れない夜に更新。
優しくなりたい。
ドムドムハンバーガーが大好き。
バーコード
ブログ内検索