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いや、説明とか苦手です
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 愛されてハッピーエンドで終わる物語も好きですが、
 愛されない者同士が愛し合う物語は、もっと好きです。
 たとえ結末がハッピーエンドでなくとも、
 誤魔化しや、傷の舐め合いに過ぎなくとも、
 どれほど醜く浅ましくとも、
 僕が共感し、涙を流すのは、いつだってそんな物語ばかり。

 ---ということは、逆に言えば自分がそんな奴だということですね。
 自己投影しているのでしょう。
 流した涙のぶんだけ。
 
 感動の正体は、自分自身だった。
 まあ、気付いていましたけれど、言葉にすると面白くありませんね。
 
 最近、言葉が邪魔で仕方がないんです。
 文字で前が見えない。
 思考で思考できない。
 まるで呼吸困難です。
 息苦しくて、堪らない。

 すべてに向き合うのは不可能なのでしょうか。
 すべてに説明はつかないのでしょうか。
 絶対的に能力が不足しているのでしょうか。
 だとしたら、これほど悲しいことはありません。
 
 いつだって足りないのは勇気で。
 洞察力を発揮して、様々な視点で。
 考えれば、不可能はない。
 
 そうであってほしい。

 22年です。
 それだけ生きてきましたが、解ったことは、あまりに少ない。絶望します。
 世界は、存在しない。
 ”世界”という言葉があるだけでした。チープトリック。
 惑わされすぎた。
 言葉は、本質を遠去ける。
 眼に見えて、触れるものだけが真実です。
 単純なことでした。
 そんなこと単純なことを、忘れていました。
 世のなかには、余計なことが多すぎて、色々と見失ってしまいます。
 距離を取らなければ危険ですね。
 なんつって、無理ですけど。死んじゃいますから。
 まあ、死なない程度に。
 夜の闇に紛れるように。
 息を潜めて。
 まるで死んだように。
 生きるのですけれど(笑)。
 
 所詮、人の一生など、上り下りもありはせぬ。
 されど、心なるものが、それを惑わせ、挙句に狂わせる。
 浮世のなかで踊り回り、気付けば夜明け、その繰り返し。
 疲れた眼で鏡を見れば、真っ暗。
 ついに終わらせる酔生夢死なりて悲しからん。

 辞世の句にしちゃ、長すぎますね。
 形式とか踏まえていないし、あまり韻も踏んでいないし。

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以下はコメント返しの訂正です。

>コゲチャ^^;さん

長いわりに、あまり意味のあることは書けていないので、読まないほうが賢明かもしれません・・・。


確かに履歴ですね。納得しました。

”完全に同じもの”は、手元に現物があれば複製できる可能性がありますが(技術的な問題をクリア出来れば)、現物がないものを”完全に”再現するのは不可能なんじゃないかなー、という感じです。
人間はミクロ単位でも違和感を感じますから。
まあ、仮に完全に再現できていたとしても”劣化”という問題がありますし。
色々と限界があるなー、みたいな。

よくあることなのですが、コゲチャ^^;さんのコメントを読ませていただいて”履歴の扱い方”について考えてみたのですが、おかげで自分が何を言いたかったのか少し視えました。
やはり、他者の視点は重要ですね。

まあ”扱い方”も重要なのですが、それは副次的なもので本質ではありませんね。重要なのは履歴の意味っつーか、”意識”です。

解り易い例として殺人を出しますが、法的には殺人は重罪なので、重罰を科せられますね。
しかし、これは行為の”結果”を裁いているので、行為に到る”経緯”によって罪の重さが変わったりします。
この”経緯”が”履歴”の本質ですね。
”結果”は、なんつーか、どうしようもありませんから、解り易いから問題にしますが、誰も思考しません。
しかし、あえて”結果”について考えてみると、色々とおかしいんです。
”結果”だけを視ると、医者は人を殺しているんですよ。
警察も、検察も、裁判所も、刑務官も、グルになって人を殺しているんですよ。
で、最も歪なのは、それらが正当化されている点です。
何が、どう正当なのか。
僕には、まだ解りません。
だから、”履歴の扱い方”よりも”意味”、その履歴を”どう受け止めるのか”という、結局は認識の問題っつーか、そういうことのほうが重要なんじゃないかなー、とか。超長文。
長文なのは、文章としてまとまりがないからです。自分でも何が言いたいのか解りませんが、まあ、なんかむかつくなー、と思っていて、気付くと書いている・・・、という病気です。

傷物云々にしては単なる統計学でしょうね。
複数の選択肢がある場合に劣っているものを間引くのは普通だと思います。
ただ、判断材料が外見や数字だけでは解らないことのほうが多いですが、仕事などなら、それで十分なのでしょう。酷ですが、代わりはいくらでもいるのでしょうから(あっ、自分の言葉が突き刺さる!)。
まあ、社会は本質っつーか、人間性を隠したり排除することで、かろうじて成立できているようなところがありますからね・・・。






これ、一度アップロードしたあとに訂正したのですが、
なぜかパスワードを受け付けてもらえなかったので、
(ページを更新したらログインすら出来ない有様)
止むを得ず、パスワードを再発行しました。

本人確認用の質問には”ペットの名前”を設定していたのですが、
これ、実は姉さんのところの犬の名前だったり。
僕、ペット飼ってませんし。
死ぬのが嫌なので。
あと、”飼う”という行為が気持ち悪くて。
ついでに言うなら、ペットを飼っている人たちの「可愛い」が理解できないので。
喋れない動物を鎖に繋いで「可愛い」とか、歪んでいるとしか・・・。

要するに見下して悦に入ってるわけでしょう。キモいぜ、それは。
強烈な違和感と嫌悪ですよ。
義務も権利も与えず、同じ生き物として欠片も尊重していないのに、
可愛いとか言って。一方的に。
なんつーか、果てしなく”ごっこ”的というか、侮辱ですよ。
そういうのは、ぬいぐるみで代用できないのでしょうか。
喋れない動物だって、生きているわけですから、
人間の自己満足に付き合わせるのは可哀相だと思います。
人間だって、動物なんだからさ。
防衛手段としての殺害や、生命維持のための殺害は、ぎりぎり許容しますが、
それだって必要十分です。
文化レベルが下だからといって好き勝手するのは、ちょっとどうなの、と。

 ーーーみたいなことを姉さんに言ったら、ぶっ飛ばされました。
 「いたい・・・」
 「あなたはアホなの?アホーなの?かわいいでしょ、ほら!ほらほら!」
 「いや、ぜんぜん解らない。
 でも、以前に、犬や猫の輪郭や顔のパーツの位置は、
 人間が本能的に好む造形なのだと本で読んだことが・・・、
 いたっ、いたいってば、爪は十分に凶器だから・・・、刺さる、刺さってる!」
 「アホーね!理屈じゃないのよ!感覚なのよ!
 ほら、どう?」
 ずい、と姉さんが両手に抱えた犬を突き出してきた。
 ぶんぶんと振り回されたせいで、すっかり項垂れたミニチュアダックスフント。
 その名もロックステディ。
 「どう思った?」
 「ぐったりしているな、と」
 「そうじゃなくて!ほかに何かあるでしょう!
 可愛いー!とか、抱きしめたいー!とか!」
 振り回したいー!とかだろうか。
 「んー・・・、特にないなあ」
 「はぁ・・・、あなたにはがっかりだわ。
 M!」
 「んー?」
 僕たちのやり取りを完全に無視して、ソファに寝そべりながらファミ通を読んでいたMが、
 だるそうに身体を起こして姉さんに向き直った。巨大ロボのように緩慢な動作。
 「この子のこと、どう思う?」
 「犬だろ」
 「そうじゃなくて、可愛いとか、抱きしめたいとか、そういう方面で!」
 「可愛くないし、抱きしめたくもない」
 「ロック、やっていいわよ」
 なにをだ。
 姉さんの腕から開放されたロックステディが、ちゃかちゃかとフローリングに細かい傷を刻みながらMのほうに向かってゆく。え、本当になにかするの?
 「はふはふっ」
 ロックステディはMの足の裏に湿った鼻を擦り付けた!
 「うわ、なんか濡れてる!」 
 Mは15のダメージ!
 「可愛いーっ!」
 姉さんはテンションが200回復した!
 
 みたいな。
 オチませんよ?
 
 むしろ、日常茶飯事なので放っておくと半永久的に展開します。

 あと、僕はどちらかといえば犬より猫のほうが好きです。
 ちょっと病的な程の猫好きですが、
 やはり、ペットとして飼いたいとは思いません。
 やはり、それは異常だと思うからです。
 まあ、もっと言うと他人を愛するのも異常だと思っていますけれどね。
 自分だけを愛せよ、と。
 すべて自己満足なのですから、すべて自己完結するのが正常だと思います。
 心がすべてを狂わせているだけで。
 あるいは、心が狂っているのか。
 僕には解りませんが。
 
 今日は、一枚描きました。
 メイドでした。
 メイドを描くつもりはなかったのに。
 気が付けば、メイドになっていました。
 無意識に。
 やばいですね。
 流石は未だに、「もしも、宝籤が当たったらメイドを雇うんだ!」と思っているだけあります。
 家政婦とか、お手伝いさんとかじゃなくて。
 まあ、これは全世界中の男性が思っていますけれどね。 
 普通なこと書いちゃったなー。

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 よくわからないんです。
 よくわからないんですが、”責任を取る”というのは不可能じゃないでしょうか。厳密には。

 壊れたものは元には戻らないし、
 失われたものは帰ってこないし、
 奪われたものは、取り返したとしても、
 取り返した時点で、既に別のものになっていると思います。
 
 おそらく色々なものが、ぎりぎりで現状を保っていて、
 外部から何らかの影響を受けて性質を変化させてゆく。
 まあ、大抵は消失か忘却ですけどね。
 失って気付くというのは、本当に皮肉。

 責任を取らなくてはならない状況というのは、
 常識的に考えれば、何か問題を起こしてしまって、
 その原因が自分にあることが明らかな場合だと思います。
 
 認知とか、お金とか、辞職とか、
 責任のある人がリスクを支払って、
 それが誠意を見せたとして評価され、
 「まあ、じゃあ、これくらいで勘弁してやるか」と、
 被害を被った側が溜飲を下げるというのが、まあ、いわゆる示談の流れというか、
 社会的に定められた謝罪の形式ですね。

 しかし、これらの流れがフォーマット化されるにつれて、
 保身を考える連中はリスクを回避するために責任を分散しようとします。
 リスクマネジメントですね。投資で言うところのヘッジファンドみたいな。
 そのせいで組織が大きいほど内部構造が複雑になり、
 責任の所在がどこにあるのかわからなくなってしまったりします。
 それが、まあ、なんていうか、むかつくのですけども。

 責任を取る、というのは不可能なんですよ。原理として。
 時間を巻き戻さない限り。
 
 石膏像を壊してしまった。
 持ち主が困っている。
 責任を取ることにした。
 壊れた破片を集めて接着剤で元通りに復元した。
 でも、ひびだらけだったので許してもらえなかった。
 その石膏像を制作した職人に依頼して、まったく同じ石膏像を制作してもらった。
 しかし、持ち主は新しすぎると言って許さなかった。
 壊れた石膏像は持ち主の思い出の品で、製作されて何年の経過していたため、
 細かい傷や汚れがあったが、それらは逆に年月を感じさせ、
 持ち主の心を温かくしていた。
 持ち主がそう言うと、石膏像を壊した奴は、
 気持ちの問題はどうにもできません、と言って、
 ほかの代償を支払うので許して欲しいと言ったーーー、としましょう。
 あ、長かったですか?たとえ話です。
 
 しかし、代償なんてないんですよ。
 持ち主にとっては、もう破片として集約されているんですね。あらゆる結果が。
 だから、代わりに何を貰っても晴れやかな気分にはなれないんです。
 そして、それこそが”罪の重さ”なんです。
 人を殺害するのが重罪なのは、
 ”人を殺害するのが悪いことだから”なのじゃなくて、
 ”取り返しのつかないことだから”です。
 そして、殺人とまではいかなくとも、
 取り返しのつかないことは日常に山ほどあります。
 
 責任なんて、本当は取れないくせに、
 「わかったよ、責任取れば良いんだろ!」みたいなことを言う人は、
 たくさんいますね。まあ、むかつくのですけど。

 被害者が”許した”だけで、責任は消えていないんですよ。
 罰を受けて、許されても、罪は消えていないんですよ。
 リスクを背負わせて、溜飲を下げて、割り切ったことにしているだけで、
 本質的には何も解決していません。

 わかってんのかコノヤロー、と思います。
 終わってないんだからな、連続しているんだからな、みたいな。

 こういうことを言うと、
 「大人になれよ」みたいなことを言われますが、
 僕は別に子供のつもりはないのですけれどね・・・。

 ただ、「大人になれよ」と言った奴の言うことを聞いたとしても、
 それは”大人”じゃなくて、”そいつ”にしかなれないだろう、みたいな。
 誰かの言うことを聞くというのは、
 誰かの思考を採用するということです。
 僕は「大人になれよ」と言う奴のいうことを聞いて、
 そいつの影響を受けるのが嫌なだけで、
 大人になるのが嫌なわけじゃないし、
 自分としてはけっこう大人なつもりなのですが・・・、なぜだ・・・。

 大人というのは、”解っている人”だと思います。
 理解して、対応できるのが大人です。間違わなければ達人で、教えてくれれば先生です。
 でも、いまは”解った振りをしている人”が大人ということになっています。
 ムキになっちゃって馬鹿じゃないの。頷いておけば良いんだよ、みたいな。
 歪ですね。

 まあ、まとめると出来もしないことを安請け合いするのは、
 無責任な振る舞いだと思うので、それには賛同しかねる。
 しかし、社会という場所は平然と、それこそ当然のように、それを要求してくる。
 責任と無責任を同時に要求してくるのはむかつくので、
 責任しか背負いたくないな、という。
 まあ、責任も背負わないのはむかつくので背負うけれど、
 別に背負いたいわけでもないのだけど、みたいな。
 
 ほんと、正論が霞むなあ。世のなかっつーのは。
 ジャンプで正義と悪を学んだ僕には、なかなかに厳しいぜ。
 どいつもこいつも、自分さえも、悪ばっかりでさ。 
 滅ぼしたいですね。
 
 ”悪い奴だけ死ぬレーザー”みたいのがあったら、
 誰も生き残れなかったりして。
 うわ、救われねえ・・・。
 まあ、何が正しいのかという問題もありますからね。
 僕は人が人を裁くのはおかしいと思っていますから。
 法学部卒なのに。
 いや、法学部卒だからかもしれませんけれど。

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 不味いです。最悪。
 景気をケーキにしたら、印象が少し変わりましたね。
 ファンシーというか、ホラーというか。
 これぞレトリック。叙述トリック。
 まあ、ファンシーとホラーって、要するにゴシックの構成要素ですが、
 あまりゴシック感はありませんね。あれ?
 レトリックは僕のなかでは、下品なイメージがあるので、
 表現方法というか、技巧としては、わりと外道なのですが、
 たまには、こういう遊びも良いかな、とか。

 まあ、なんつーか時代の宿命というか、
 社会契約説に則る以上、
 ある程度の、知識としての常識は必要なのですが、
 必要以上の常識は、思考を限定するし、真に健全な思考を妨げると思うため、
 個人的な感覚としては、
 「余計なものを身に纏っているっつーか、纏わされているっつーか、
 どいつもこいつもお仕着せがましくて非常にうぜえな・・・・・・」と思っていたのですが、
 実際、これって、わりと核心ぽいなと自画自賛する有様です。卑しいな、僕。

 昔は違ったのかもしれませんが、
 現代の社会契約説は、契約後の保障が皆無といっても過言ではないので、
 契約してもなあ、という感じ。
 まあ、警察くらいですか?法的なメリットは。
 でも、警察は景気を回復できないでしょう?
 いまは、ちょっと洒落にならない不景気で、しかも更に進行していて、
 そっちの問題も深刻化しています。
 いわば、景気の暴力に晒されているわけですよ。
 だから、景気の警察が欲しいんですよ。
 まあ、国会とか、アメリカの仕事なんですけど、できてないし。
 差し迫って考えれば、自分の問題ですけれどね。
 自分で解決すれば良いだけなので。
 でも、まあ規模がでかいと怯むというか、責任転嫁したくなるというか、
 ちょっと無責任な振る舞いでしたね。自重します。
 でも、僕が景気の警察になるためにがんばりますというのも、
 ちょっと傲慢な感じがするし、ぶっちゃけ、あんまり出来る気もしません。
 駄目じゃん・・・・・・。
 
 ジェンダーについて考えていて、
 生物学的な視点で考えているうちに思考が飛躍して、
 ちょっと嫌なことを思い付いてしまったのですが、
 この程度のことは常識に縛られていなければ、もっと早く思い付いていました。
 かなり時間を無駄にした感じ。
 まあ、何のことだか解らないと思いますが、
 いまはまだ言葉にすべき段階ではないと思うことと、
 わりと、ろくでもない思い付きなので、ちょっと焦らそうかな。
 明日になれば、もっと思考が飛躍するかもしれないし。
 自分の意図に反して思考が勝手に飛躍するのは、少し怖くもあり、少し楽しくもあり。
 悪魔の正体は人間だと思いますが、どうやら僕にも悪魔になる資格はあるみたいです。
 残念なような、当然なような。
 あーあ・・・・・・。
 

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 正論は役に立たないなあ。
 必死さの前に、
 どうしようもなく無力で。
 説得力は行動力に比例するの。具体的には暴言暴力。
 あーあ、嫌んなっちゃうぜ・・・。
 俗々してさ。毒々しくてさ。
 華々しかったのは今は昔さ。
 8ビート早すぎ。2ビートで良い。
 人と話すとき、いつもどこか悲しい。
 たったひとつの言葉でさえ今はもうバラバラ。まるでガラクタ。
 これじゃまだまだ言えそうにない。あなたに、ありがとう。そしてさよなら。
 まるでタイヤキの心臓。
 感情が対立した時点で泥沼化が決定付けられ、
 勝者なんて本当はいないし、
 終われば、あとには何も残らない。
 記憶も、やがて失われるばかり。
 殴っても無駄。むしろ逆効果。選択肢が限られているという先入観が邪魔。ぜんぜん自由じゃない。
 残響は意味を為さない。
 真空管みたいな感情しか持ち合わせていないんじゃあ、尚更に。
 かといってトランジスタもどうかと思いますけれど。理想はダイオードですね。ああ、熱量の話ですよ?
 あー、手を抜くって、どうすりゃあ良いんだか。
 余計にストレスが溜まってるような気がするのは、気のせい気のせい(自己暗示)・・・。
 愛せば解決。ただ、誰も愛を知らないのが問題なだけで。意思疎通すら侭ならない有様。
 
 間違えたものは取り返せない。
 唯一の資本は今にも砕けそうな弱い弱いハート。
 誰と比べても、どこに並べても、たぶんすぐに見えなくなる揮発性。
 人生の本質って贖罪なの?あ、食材ですか(贖罪と掛けてみました)?
 まるで闇鍋。
 暗闇のなかで。
 永遠の別れ(踏んでみました、韻を(倒置法(あれ、踏めてない?(あは))))。
 昔の人の尻を拭くのは、まあ、百歩譲って良いとしましょう(本当はめんどくさいよ?)。
 でもさあ、トイレットペーパーくらいは用意してくれないと、
 嫌な気持ちになるなるるー(ごまかし)。
 改行すらめんどくさいよー。いや、するけどさ。改行は。せずにいられない病だから。
 
 

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プロフィール
HN:
Regnen
年齢:
37
性別:
男性
誕生日:
1986/12/14
職業:
学生
趣味:
古い映画のパンフレット収集
自己紹介:
宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。
座右の銘は酔生夢死。
最近、
日記の意義を見失い、迷走中。
眠れない夜に更新。
優しくなりたい。
ドムドムハンバーガーが大好き。
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