いや、説明とか苦手です
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タイトルは韻を踏みたかっただけです。
以前は真実というものを探していましたが、 最近は、どうにも真実は一過性であるような気がしてきたので、 じゃあ、真実を重ねた先に真理というか、誰もが納得する解答があるというのも、 まあ、幻想じゃん。みたいな。あーあ・・・。認識がフラットです。こころなしか現実もフラット。 個人の領域から脱却できません。ブレイクスルーが足りない模様。自由は孤独なのかな。 コギトエルゴスムスですね。思い込みが世界を構成していますから。 あらゆる認識は自分に跳ね返ってきます。眼に映るものは、すべて突き刺さる刃ですね。 さて、今日もまた、僕にとっての真実が更新されました。 買わなくても後悔するけれど、 買っても後悔する。 後ろ向きな発見ですね。しかも絶大な説得力。 この思考は、ほかの現象にも応用できそうですが、 なにもかも後ろ向きにしてしまうという驚きの効力です。 後ろ向きの後ろ向きは、前向きじゃあないですしね。 ひたむきと下向きくらい違います。 後ろの後ろ向きdeath死ね。後ろの正面は自分です。鏡には、映りませんけれど。怖っ! 真実は現実ですが、現実は真実とは限らないし、 認識の順序がシャッフルされているような気が。 死ぬのはアレだけども、 生きるのもアレだったり。 アレというのは鉄アレイの略です。 その心はーーー、どちらもしんどい。 なんつって。 PR わりと体力には自信がないので、忙しなく動くのがしんどいのだが、 動かないのもしんどい。 以前、頼まれて美術モデルをしていたことがあるのだが、 長時間に渡って同じ体勢を維持するのはしんどかった。 ポーズのコンテがあって、休憩を挟んで、 コンテを見てポーズを再現する、という建前なのだが、 実際には、殆ど休憩を挟まない。 ひどいときには4時間くらいぶっ通しで立たされ続ける。 「いま、集中してるからもうちょっと!」みたいな。 動かないでいるといっても、寝ているわけではないので、筋肉は常に緊張している。 同じ部分に重心を掛け続けるので、 立ちポーズの時には脚は激痛に襲われるし、座りポーズの時には尻が内出血する(らしい)。 寝ポーズのときには眠くなってしまう。そして怒られる。 あと、飽きる。同じ体勢でいるという状況に。これは、もうどうしようもない。 彫刻や、オブジェなら製作過程を眼で追えるので、何となく退屈はしのげるのだが(限界はある)、 静物画の場合はキャンバスが裏面なので、延々と一点を見詰め続けなくてはならない。 飽きてしまえば、もうストレス倍増なので必死に素数を数えたり、 リアルタイムで円周率を求め続けたりする。 過酷だったなあ、あの頃・・・・・・。 そんな思い出し夢を見ました。 過去に未練があるのだろうか。まあ、完全になくはないのだけど。確かに。 なんか、ただ記憶が再生されるだけの夢って、少し切ない。 そんなものを見せられても、どうしようもないし。 先生、元気でやってるかなあ。 豪快なわりに病弱だったからなあ、あの人。 酔っ払って、全裸で寝て、凍死とかしてなければ良いのだけど。 相対的な距離が一定でない道や、 相対的な時間が一定でない道や、 相対的な速度が一定でない道は、 言うまでもなく狂っているのですが、 狂っているのが、自分なのか、自分以外なのかは、自分にだけは解りません。 それで、他人と関わることが重要になってくるのですが、 その手段のひとつである言葉っつーのは非常に厄介で、 ぜんぜん伝わらないくせに、余分な意味が多分に混じります。 まあ、解釈を他人に委ねた段階で、没交渉なのですね。本質的には。 本当に言いたいことの上っ面しか残りません。 世のなかには、はっきりしないくせに確たるスタンダードがあり、 そいつから逸脱すると客観的には狂っているということにされ、 そうなると社会生活が困難になるので、 逸脱しないように、 言葉を制限し、 行動を制限し、 思考を制限し、 仮面を被って、上っ面の会話でもっともらしく頷いてみたりしているのですが、 まあ、滑稽ですよね。 でも、人間ですよね。 どうしようもない感じが、特に。 関係が個人で完結しないので、意識も個人のものではなくなりました。 ひとは、ひとりではなくなりました。 でも、孤独は増した気がします。 ひとりなら、自分だけを理解すれば良かった。 ひとりじゃないから、自分以外をも理解しなくてはならなくなった。 でも、それは無理で。少なくとも現在は。思考を共有できないので。 (まあ、ネットワークの概念に可能性を感じますが) ひとりよりも、理解し合えないふたりのほうが、より孤独です。 ふたりよりも、たくさんのほうが、より孤独です。意識が拡散するので。たくさんだけに。 仮に、意識も思考も共有できたとして、 (まあ、某人類補完計画ですけれど、それは) それは結局は、ひとりなので、孤独からは逃れられる気がしません。 話が逸れました。 まあ、狂った道がたくさんあるわけですよ。人生には。人生を道に喩えると。 狂った、といっても主観的に、僕にはそう映ったということですが、 これに関しては説明できるはずもないので、各々、自分にとっての狂った道を想像してください。 想像しましたか? ありがとうございます。 では、次に、狂っていない道を想像してください。 想像できましたか? 即座に出来た人は頭の回転が良いですね。出来なかった人は普通です。 狂っている状態を想像するように誘導していたので、 そうでない状態は盲点状態ですから。ちょっとしたミスディレクションです。 え?いや、べつにふざけてませんよ。マジですよ。この場合、マジでふざけていれば矛盾しませんが。 じゃあ、もう一度、狂っていない道を想像してください。 あなたにとっての、まともな道を。 普通な道を。 想像しましたか? では、訊きます。 その道は、どこまで続くんですか?あなたの道は、どこまで続くんですか? まあ、ひとつ言えるのは、 道が唐突に途切れるのも、延々と続くのも、それはそれで狂っているということです。 さらに言えば、 まともでも、まとも過ぎれば、やはりそれはそれで狂っています。 まあ、これは何かで読んだのですけど。上も下も。 狂っている、と証明することは何かと比較すれば良いので簡単ですが、 逆に、狂っていないことを証明するのは、比較対象が存在しないので困難です。 ワンオブゼムの証明は容易であるが、オンリーワンの証明は困難である。 これは、俗に悪魔の証明といわれる思考トリックです。 <ない>ものは証明できない。曖昧なものも。 まあ、常識とか普通は、世のなかという密室のなかに住む悪魔だなー、と。 同じく、孤独や感情も、思考という密室のなかに住む悪魔で、 ぶっちゃけ、思考も大脳皮質という密室のなかに住む悪魔。 ちなみに、悪魔とか神とか、 そういう宗教系の云々は人間が責任逃れをする際の常套手段ですね。 ”よくわかんねーもんを、よくわかんねーもんに押し付けて、わかった気になっているだけ”です。 すなわち、脳に悪魔がいるということは、自分自身が悪魔であることに他ならず、 そうは言っても、自分自身が、自分自身のなかに住む悪魔だったりして支離滅裂です。 まあ、悪魔という存在自体、人間の作ったものですし、 悪魔の正体は、”最初の誰か”が投影された人間か、自分です。神もね。 信仰の目的は現実逃避なんですから、 対象は偶像であれば何でも構わないわけです。 実体がなければ。 だから、なんか萌え系とか、まんがキャラとかのでかい宗派があっても、 本質は変わらないし、信仰は揺るがないはずなんですよ。 でも、なんつーか体面に拘っているでしょう。キリストとかブッダとかアフラマズダーとか。 そのへんがなあ、俗っぽいっつーか、むかつく部分です。 そういう半端な奴が借り物の言葉で話しかけてきたら普通に嫌悪します。 その点、日本の九十九神信仰は良いですね。割り箸とかに拝んだりして。 そういう気合入ってる奴が自分の言葉で教えを説いてきたら、普通に訊きます。 自分と異なる思考は興味深いですからね。まあ、でも宗教はやばいですけど。 風俗とかホストと同じですから、弱い部分に付け込むーーー なんつーのかなあ、屑っぽいところが。 まあ、屑にも色々いますけどね。僕とか。 良い屑もいれば、光ってる屑もいます。優しい屑もいます。 でも、屑は屑ですから。 自覚しないのは罪ですね。まあ、屑は生きるのが罰ですから、チャラですけれど。あーあ・・・。 あれー、おかしいなー。 なんだか、よくわからないことを書いていますね。我ながら。 逸れた話のほうが拡がっちゃっていますね。毎度のことながら。 当初は”純粋性”について書くつもりだったのですが、まあ、かまわないか。 結論だけ書いてしまいます。 純粋は、純度が高さに比例して危険さを増します。 コントロールできないものってのは、やばい代物だと相場が決まっています。 取り扱いには、ご用心を。
まあ、僕は無力なのですけど。駄目じゃん・・・。でも、力は断絶を生むしなぁ。
なんつーか、表面張力みたいなものだと思います。 人間性とか、心みたいな、”判断力”を司る精神は。 精神というか、思考でしょうか。もっと言えば脳。 思考における、他人に関係する部分。 そのキャパシティというのは、表面張力みたいなものだと思うのです。 基本的に、常に張り詰めていて、いまにも溢れそうなーーー 心はガラスで出来たグラスで、中の液体はストレスコンプレックス。 分子間力は耐久力、引力は環境に依存する悪意。 余剰エネルギーが優しさ。 ところで、表面張力で、がんばっているグラスから、 手を触れずに水を溢れさせる方法があります。 もちろん液体を注ぎ足す以外の方法で。 ちなみに文中の”液体”というのには深い意味はないので、水で良いです。 わかる人は、まあ、わりと雑学博士。 正解は気圧を下げる、です。 気圧を下げると液体の沸点が下がるので、常温で沸騰します。 また、温度を上げるというのも正解です。 温度の上昇に伴って分子が運動し、斥力となるためです。 気圧は、文字通りにプレッシャーで、 温度上昇は、興奮というところでしょうか。 グラスから水が溢れれば、ひとは冷静で居られないという、まあ、ひとつの思考実験です。 もっとも、なかには水銀のような例外もありますが、 そのぶん水銀は揮発性が高いですしーーー まあ、前提として、バランスが重要ですけれどね。 傾けば、重力に従うほかありませんから。 減圧しまくって、真空状態にしてしまえば重力からは解放されますが、 バランスは皆無です。支えてくれるひとがいれば、べつですけれどね。 地に足を付けていられるのは重力のおかげだと、まあ、そんな感じです。 重力があって落ち着くくらいには、僕も、まだ人間らしいという再認識。 最近、どうも自我が曖昧で、自覚とか認識をしないと発狂しそうなんですよね。 なんかリストカットしていた友人の、 「痛みだけは確かだからね。痛覚神経がまともで良かった」 という言葉を、やけに思い出すんです。 思い出すというのが、脳が無意識に働いているのか。 だとしたら、僕には痛みが必要なのか。 ぶっちゃけ、僕には潜在的なリストカット衝動があるのか。 それとも、単にいやなタイミングでトラウマがフラッシュバックしているだけなのか。 いずれにしても、自我を強く持たないと明日はなさそう。 まあ、明日って美しいの?とか、僕には明日が必要なのか?とか思っちゃってる時点で、 けっこうやばいのですけど。 ていうか、こういう弱音?みたいなことを書いているのも意味がわかりませんし。 まあ、思ったことを書けば、逆説的に自分が何を考えているのかわかるので、 認識の手段としては悪くありませんが、効率的じゃないなぁ・・・。 悩み多き年頃ってわけですね。 鈍感なつもりでしたが、意外に多感だった自分に驚きです。絵は下手なのにね。 生きるのも下手なのかなー、とか。 やっぱ、バランスかなー。 |
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宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。 座右の銘は酔生夢死。 最近、 日記の意義を見失い、迷走中。 眠れない夜に更新。 優しくなりたい。 ドムドムハンバーガーが大好き。
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