いや、説明とか苦手です
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 どうも、Regnenです。 具合悪いです。 さっき熱を計ったら、38.6度でした。 まあまあですね。 とりあえず笑ってみます。 最近、やたらとおっさん達と接する機会があって、 まあ、それは今は一段落したのですが、 なんつーか、振り返ってみて思うのは、 若さっつーのは、つまるところノリとか、テンションなんじゃねーかな、 とか思いました。 まあ、おっさんと言っても、30~40くらいで、 それを23歳の僕の主観で見た感想ですけれど。 僕も、10代の連中からすれば十分おっさんですからね。 あーあ・・・。 今日の日記のタイトルは姉の至言です。 うまいこと言ってくれました。 昔、色々と辛い時期があったのですが、 その度に辛いものをーーー、具体的には某タイ料理屋に連れて行かれたものです。 泣きながら食べましたよ。 辛いから、ということにして。 なので、まず病院に行き、 その足で、昼は某タイ料理屋に足を運ぼうと思います。 優しい思い出に会いに。 ていうか、最近行ってないのですが、 潰れてたりしたら、めちゃくちゃ落ち込むのですけれど・・・。 あんな、まさに知る人ぞ知る、みたいなーーー 病院に行って来ました。 鼻のなかに綿棒を突っ込まれ、 ぐりぐりとされ、 新型インフルエンザA型と判明。 あ、タイ料理はおいしかったです。 その後は薬漬け。 涅槃にて会いましょう。 バッドコンディション、グッドドリーム。 バッドレリジョン、グッドピープル。 バッドタイム、グッドナイト。 コリジョン。 PR 生きていることが不幸ですが、 生きていることが幸福ですね。 まあ、在りの侭という奴ですが。 そんな一年でしたし、そんな一年にしたいです。 適当に手を抜きつつ。 あ、明けましておめでとう御座います。 ところで、正月の由来って何ですか? 訳もなく盛り上がっている、という状況は異常だと思うのですが・・・、 それで「おめでたいね(笑)」ということ? 成程。 悪口だったわけですね。しかも辛口。 新年早々に不快な気持ちになりました。心がヒリヒリするよ。 さて、前回の日記で、 鈍い奴は、最低の糞尿野郎、牛乳を拭いたあとの雑巾以下の最底辺野郎である、というような罵詈雑言を書き綴ったような気がするのですが、 そういえば、かつて僕が中学生の頃に一瞬だけ所属していた剣道部の顧問が、 まるで口癖のように「愚鈍たれ」と言っていたのを思い出した。 僕には意味がわからなかったので、 「いや、意味不明です。剣は鋭くなければ駄目でしょう」 と言ったら、顧問は、 「それは自分自身を一振りの剣にするということか?」 いや、別にそこまで考えていませんでしたけれど。 「まあ、別に剣でなくとも良いんだが、 とにかく何かを極めようと思ったら愚鈍というのは重要なんだよ」 「はあ」 「よくあることだが、物事は単体で確立していない。 色んなことが色んなふうに作用していて、 1のことをするのに、10の技術を必要とする」 「まあ、解ります」 解ってきた。 これは限界の話だ。処理能力の。 「しかし、それは効率的ではない」 まあ、無駄が多いとは思う。 「目的が決まっているなら、ほかは気にしない。 これがいちばんの近道だ」 「それって色々と犠牲にしますよね」 「まあ、その辺りが分かれ道だな。覚悟の」 ふーん、と思いました。 覚悟の分かれ道っていうか、 それは、人間の分かれ道だと思いました。 そんな昔話。 意図的に鈍さを獲得するっていうのは、 もしかすると逆に鋭いような気もします。 おさらば。
知らず知らずのうちに、 場合によっては良かれと思って、 色んなものを台無しにしてきたのだと思います。 そんな、便器にへばりついた糞のような23年間だったもので。 (世の中って、巨大な便器みたいなものですから) だから、まあ、優しくなりてーなー、と思うわけです。性懲りもなく。 そうすることが、僕には必要なんですよ。 きっと、大昔にごっそり捨ててしまった何かの代償行為です。 自分で掘った落とし穴に自らハマる間抜け。可哀相ですね。 ”子供”であり、”大人”で在り続ける続けるって、茨の道ですね。 葛藤の連続で、ちっとも前進した感がありません。 駄目じゃん・・・。 まあ、でも”鈍さ”という機能が、 人間の精神に掛かる負担を幾分軽くしているのも事実だと思ったりもします。 何もかもに敏感だったら、きっと傷付くだけでしょうから。 世の中は、目を覆いたくなるような残酷な物語ですから。 だから、まあ、必要悪っていうんでしょうか。 僕はまだ許容できない考え方ですが。 悪なんて要らない、あってはならない、と考えていますが。 心が読めれば、相手の本音が解るでしょう。 でも、そこにはきっと自分が知りたくないことも含まれています。 だから、心は読めないほうが良い。 期待や、幻想の余地がなくなれば、 希望がなくなれば、あとには絶望しか残りませんから。 だから、心が読めない程度の鈍さは必要です。 でも、それが行き過ぎると、邪悪だなあ、と思います。 まあ、美学ですね。僕の。結局。こうあれ、という。 毒か薬かで言えば、”鈍さ”は毒寄りだなあ、みたいな。 まあ、毒も薬も似たようなものですけれど。 薬だって、飲みすぎれば毒ですよ。 薬は体内で反応して毒になりますが、 普通の食べ物だって、 食べ過ぎれば、というか詰め込みすぎれば胃とか腸とか内臓が破裂して死にます。 あらゆるものに”死”が内包されているように。 あらゆる鈍さに”悪”が内包されているような。とか。荒ぶる僕は思う。 ”解らない”というか、”定まらない”ことの不安定さに酔いそうです。 まるで無間地獄。まあ、それを選んだのは僕ですけれど。 気付かないうちに、僕は既に地獄に落ちていたのかもね。 それこそ、生まれたそのときに。 だとすれば、まあ、そんなに悪くもない気分ですよ。 こうして、何かを書いているわけですから。 たとえ、それがクズみたいな文章で、 あまりの幼稚な内容っぷりに2度と見たくなくなり、 挙句、月に1度の更新になろうと、 それでも、まあ、今は。 悪くない気分です。 たぶん、今だけですけれど。 駄目じゃん・・・。 ”鈍い”ですね。僕自身が・・・。 駄目じゃん・・・。 なんつーか、”わかっている気になっているとき”が、 実は、いちばん真実からは遠いんじゃねーのかな、とか。 本当はわかることなんて何一つないんだから、 ”わからない状態”が基本であり、 思考することによって、むしろ正解からは遠ざかっているのではないか、という。 絵を描いたり、詩を書いたり、 とにかく何かを作ること全般に言えることなのだが、 手応えがあるものは、 たいていスパッと出来てしまって、ほとんど時間が掛からない。 うだうだと時間を掛けたり、不必要に手を加えたりしたものほど微妙な出来になってしまう。 なぜなら、思考自体が迷いだからである。 デッサンなんか視覚的に認識できるぶんわかりやすい。 線の多さは、そのまま迷いの多さを表している。 完全な一本の線が描ければ、かたちも、色も問題ではなくなる。 すべては”それ”という作品の付属物でしかなくなる。 考えなければ、迷わない。 迷う必要がなければ、考えない。 迷わなければ、時間は掛からない。 まあ、人間には基本的に時間がない。 だから常に、どこか焦っていて、思考に霧が掛かったような状態なのかもしれない。 いつか死ぬと確約されているし、 しかも、それがいつなのかはランダムという有様なので無理もないことではある。 ”死”の概念。怖いに決まっている。 そのせいで、”やりたいこと”をやれる保障がないために、 ”やりたいこと”をやるために、”やらなくてはいけないこと”を、 ”やりたくないのにやらなくてはならない”ために、 本来ならば、不要なはずのタスクが膨大に積み上がり、 ほとんどの人が”手続き”と”処理”に人生の大半を棒に振っている。 ーーーように見えるし、思える。 しかし、それは迷いの本質ではないように思う。 これらは、人間の本能と社会性が真っ向から矛盾したことの反作用で、 ぶっちゃけ、わけがわからないうちに、いつの間にか流されて、 わけがわからないが、 しかし、なんとなく自分が嫌な気分だということだけは、かろうじてわかる・・・、 ーーーという状態におけるストレスの一端でしかない。 結局、多様化に付いていけていないのだと思う。 あまりに情報が多すぎて、脳で処理できないのだ。 とにかく、あれこれ選択肢がありすぎる、ということがわかる、という程度の性能しかないのだ。 正解を理解するには、まだ進化が足りない。 各々が適当勝手に答えを出して、それに自己満足するしかない。孤独である。 コンピュータにおける人工知能のアルゴリズムに、 ”ファジー理論”という複雑系の概念が用いられており、 これは固体をそれぞれ明確に識別するのではなく、 似たようなものであれば、いっそ同じものとして認識してしまい、 そのぶん、ほかの差別化された固体を識別することで効率を良くする、みたいな内容で、 ファジーという言葉が示すように、曖昧に認識することで、だいぶメモリを稼ぐらしい。 そうしないと、人間が感じているような膨大なデータはとても処理できないし、 そのファジー理論を用いても完全な人工知能は未だ完成していない。 いや、既に完成していて、まだ発表していないだけかもしれないけれど。 僕はエンジニアではないので、よく知らないが。 なにが言いたいのかというと、 人間も、所詮、ファジーな認識しかしていないのではないかということ。 だから、”わからない”のが立ち位置としては正確なのじゃないかなという・・・、 あれ、なんか冒頭から一歩も思考が進展していないような? 駄目じゃん・・・。 別に”無知の知”的なことを言いたかったわけではないです。 結果的にそれっぽくなっちゃいましたけれど。 ”なんかわかんねー”感覚を論理化し、把握したかっただけです。大失敗ですが。 あとタイトルは特に意味なし。
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1986/12/14
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古い映画のパンフレット収集
自己紹介:
宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。 座右の銘は酔生夢死。 最近、 日記の意義を見失い、迷走中。 眠れない夜に更新。 優しくなりたい。 ドムドムハンバーガーが大好き。
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