やあ、どうも。
更新頻度が月1とかになりつつあるゴミクズ野郎ことRegnenです。
このように。
卑怯者は自ら自らを罵ることで、自らの罪・・・、
---というよりも自らの罪悪感から逃れようとするというわけです。
晒しますよ。
心まで。
何かを書くってのは、そういうことだと思っていますから。
なんつって。
心とか、よく解んないですけど。
更新とか、滅多にしなかったんですけど。
駄目じゃん・・・。
ところで、僕、今月の14日に23歳になりました。ということになりました。
よく解りませんけどね。それも。誰だよ、”年齢”の概念を創始した奴は。
まあ、便利ですけど。
”年齢”という明確な”差”があれば、他者との”区別”が容易になりますから。
でも、区別と差別って同じことですよ?
まあ、だったら14日に更新しろよという感じなのですが、
連日の乱痴気騒ぎのおかげでそれどころではありませんでした。
いやあ、祝ってくれる人がいるって良いですね。
僕は三国一の幸せ者だよ!
ありがとうよ!
たとえ、累計嘔吐回数が2桁に届きそうな程だとしてもね!
ははっ、ジョークです。2桁を越えました。
良かった、急性アルコール中毒にならなくて。
吐いたのが逆に良かったのかもしれませんね。
誰だよ!ズブロッカとか持ってきたのは!
ていうか、誰だよ!おまえ誰だよ!
みたいな。
後輩に仕切らせるとロクなことにならないということが解りました。
僕は、もう2度と・・・、いや、まあ、やめましょう。もう終わったことですし。
あと、Mが誕生日プレゼントと言って、
僕に押し付けてきたサイレントヒルはマジ怖かったです。
初代PSのゲームなのでグラフィックが粗いのですが、
むしろ、その粗さが怖いんですけど!
ラジオが鳴り止まないんですけど!
みたいな。
怖いのは苦手なのですが、まあ、結局は楽しみました。
そのときは、ひとりじゃなかったから。
誰かがそばにいるだけで生まれる余裕。それを僕は”関係”だと思います。
どうでも良いですね。
その後。
ひとりで少しだけプレイしてみたのですが、
即座に電源を落としてエースコンバット3で遊びました。
まあ、いつものところで、いつものように撃墜されましたけど。
駄目じゃん・・・。
しかも、序盤も序盤、ミッションでいうと3くらいですよ。
夜は、空も海も暗すぎて、境界が曖昧すぎます。
吸い込まれるように暗い海の淵へ誘われる様は、見ていて切なくなる程です。
オチなし。
まったく関係ありませんが、
今日はエスペラント語を創始した人の150回目の誕生日だったそうです。
グーグルのトップ絵になってました。
皆さんはエスペラント語をご存知でしょうか?
いや、まあ僕も、そんなに詳しいわけではないので、
各自検索して欲しいのですが、
確か、”複数の言語を統一する試み”として、
”新たな言語を創る”という、
つまりは”供用語”を創るーーーみたいな感じだったと思います。
言葉の壁は大きいですからね。
言葉が通じないと、解り合えませんから。
解り合えないと、信用できませんから。
信用できないと、優しくなれませんから。
優しくなれないと、迷いませんから。
迷わないと、間違っちゃいますから。
間違っちゃって、でも、だれも間違ったことに気付けませんから。
そうやって少しずつ物事を狂わせて、
最終的にたくさんの人が悲しい気持ちになったりするものです。
まあ、言葉が通じたとしても、解り合えるとは限りませんけどね。
いつだって、向き合わない限り、”理解”には及びません。
覚悟がないとね。責任を背負って。
些細な誤解や擦れ違いで、壊れるような関係しか作れないような、
頼りないような関係ばかりしか生み出せないような、
そんな人間じゃない人は別ですけれど。
まあ、でもね。
”供用語”というのは悪くないというか、
むしろ全然良いと思うし、努力の方向としても間違ってないとは思います。
ただ、そうなると”組み込まれた古い言語”たちは要らなくなるじゃないですか。
忘れられちゃうじゃないですか。
それは悲しいなあ、とか。
ことばは文化ですけれど、その前に”気持ち”そのものでもありますから。
大昔の人の、そいつは死んでも、気持ちだけは残ったということですから。
もちろん記録としては、きちんと保護されるのでしょうけれど。
使われなくなった”ことば”っていうのは、なんだか悲しい感じがします。
さて。
前置きはこれくらいにしましょうか。
人を傷付けるのに必要なものは何だと思いますか?
道具とかじゃなくて、心構え的な話です。
僕は、”鈍さ”だと思います。
”気付かないこと”が、いちばん残酷な悪なんじゃないかな、と。
”人を傷付けたことに気付けない人”が、最も邪悪な人だ、と。
気付かないわけですから、罪悪感もありませんしね。
困っている人を見て見ぬ振りをしたり、
権力を持った奴が、非権力者に対して横暴したり、
いわゆる”無視”と”暴力”は、鈍くなりつつある途中の状態というところでしょうか。
まだ関わっているというか、当事者の自覚があるというか、
”悪”ではあるけれど、
同時に、望まなくても、うっかり悪者になっちゃったり、
そうするしかなかったりしたり、
なんつーか、理解できなくはなさそうな気がしますが、
”鈍い”奴とは対話すら不可能なように思います。
迷わなければ、すべてシンプルなんですよ。
そして、”鈍さ”というのは、そのひとつの答えなんです。
迷って迷って迷い抜いて時間を掛けて導き出した答えも、
鈍さゆえに自然に気楽に一瞬で出した答えも、等価値です。
で、困ったことに。
世の中は、どんどん”鈍化”していないか?という。
楽な方向に流れると、思考が停滞してしまいます。
停滞は、麻痺を招き、そうなると”鈍化”に拍車を掛けます。
だから、ほら。
大人は鈍い奴ばっかりでしょう?
物事を簡単に考えるということは、
簡単に他人を傷付けるということですからね。
まあ、僕もそのうちのひとりですけれどね。
知らず知らずのうちに、
場合によっては良かれと思って、
色んなものを台無しにしてきたのだと思います。
そんな、便器にへばりついた糞のような23年間だったもので。
(世の中って、巨大な便器みたいなものですから)
だから、まあ、優しくなりてーなー、と思うわけです。性懲りもなく。
そうすることが、僕には必要なんですよ。
きっと、大昔にごっそり捨ててしまった何かの代償行為です。
自分で掘った落とし穴に自らハマる間抜け。可哀相ですね。
”子供”であり、”大人”で在り続ける続けるって、茨の道ですね。
葛藤の連続で、ちっとも前進した感がありません。
駄目じゃん・・・。
まあ、でも”鈍さ”という機能が、
人間の精神に掛かる負担を幾分軽くしているのも事実だと思ったりもします。
何もかもに敏感だったら、きっと傷付くだけでしょうから。
世の中は、目を覆いたくなるような残酷な物語ですから。
だから、まあ、必要悪っていうんでしょうか。
僕はまだ許容できない考え方ですが。
悪なんて要らない、あってはならない、と考えていますが。
心が読めれば、相手の本音が解るでしょう。
でも、そこにはきっと自分が知りたくないことも含まれています。
だから、心は読めないほうが良い。
期待や、幻想の余地がなくなれば、
希望がなくなれば、あとには絶望しか残りませんから。
だから、心が読めない程度の鈍さは必要です。
でも、それが行き過ぎると、邪悪だなあ、と思います。
まあ、美学ですね。僕の。結局。こうあれ、という。
毒か薬かで言えば、”鈍さ”は毒寄りだなあ、みたいな。
まあ、毒も薬も似たようなものですけれど。
薬だって、飲みすぎれば毒ですよ。
薬は体内で反応して毒になりますが、
普通の食べ物だって、
食べ過ぎれば、というか詰め込みすぎれば胃とか腸とか内臓が破裂して死にます。
あらゆるものに”死”が内包されているように。
あらゆる鈍さに”悪”が内包されているような。とか。荒ぶる僕は思う。
”解らない”というか、”定まらない”ことの不安定さに酔いそうです。
まるで無間地獄。まあ、それを選んだのは僕ですけれど。
気付かないうちに、僕は既に地獄に落ちていたのかもね。
それこそ、生まれたそのときに。
だとすれば、まあ、そんなに悪くもない気分ですよ。
こうして、何かを書いているわけですから。
たとえ、それがクズみたいな文章で、
あまりの幼稚な内容っぷりに2度と見たくなくなり、
挙句、月に1度の更新になろうと、
それでも、まあ、今は。
悪くない気分です。
たぶん、今だけですけれど。
駄目じゃん・・・。
”鈍い”ですね。僕自身が・・・。
駄目じゃん・・・。
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