いや、説明とか苦手です
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 なんつーか、ふと去来した温かいものを表現したいのだけれど、 うまく言葉に出来なかったりして、 仕方なく絵を描いたり、 仕方なく音楽を奏でたりして、 そんな曖昧な誤魔化しの集大成が芸術の起源であり、 また同時に限界でもあるんじゃないかなー、とか。 ところで、絵を描く作業って彫刻を彫る感覚と少し似ている。 まあ、別に絵も彫刻も専門というわけではないので、印象のレベルにすぎないけれど。 余分なものを削ぎ落とすところとかね。 ”かたち”が視えていても、はっきりとした確信はないわけで、 それが筋肉なのか、贅肉なのかは触ってみるまでよく解らない。 才能によるのかもしれないけれど。 なんつーか、僕は、 創造というのは常に頭のなかでしか行われていないと思っているフシがあり、 実作業のほうを疎かにしたりすることがある。 文章も、絵も、音楽も、映像も、まず完成形(のイメージのこともある)が頭にあり、 それを現実に再現しているだけなんだから、 当然、純イメージ(頭のなかの完成形)からは劣化する。意味ねーなー、とか。 したがって、”上手い奴”というのは、 ”頭のなかを再現する技術が上手い奴”であり、発想力とは無関係である。みたいな。 とはいえ、別にイメージやモチーフがなくても、 なんとなく手癖で手を動かしているだけで絵は描けてしまったりして、よく解らないフシギ。 何もないものを膨らませる作業。とんち? ところで、まったく関係ないが、 心って何だろう? どこにあるのだろう。 脳か? 脳下垂体か? しかし、人間のからだは無数の細胞によって構成されている(らしい)。 からだのどこかに心があるとするのなら、細胞すべてに心がなければおかしい。 細胞すべてに心があるとすれば、心がーーー、 というか意識?よく解らないが、とにかく主観がひとつなのはおかしい。 統制された意識があるというのがありえない。 そこで考えたのだけれど、 人間には心などないのではないか。 五感+記憶が反応した情報をフィードバックする感覚を”心”と名付けただけで。 五感と記憶を失えば何も”感”じないのではないのだろうか。 記憶もないから思考は言語化できないし。 その状態でも何かを認識できるのだろうか。 その答えを知るには人体実験しかないので、倫理的に検証は不可能である。 でも、誰かこっそりやってそうだけどね。ナチスとか。カルト宗教とか。 たぶん宗教における”無の境地”とかって、そういうことだと思う。 断食とかね。 アプローチが違うだけで、本質は同じ概念を掴もうとしている、んじゃないかな。 いや、よく解んないですけど。 そんな感じがするなあ、という憶測、を含んだ妄想。 結局、何が言いたいのかと言うと、 心というのは、 ”肉体的な条件が揃った段階で自然発生する意識”ではないか、的な。 科学的なアプローチーーー、 AIとか、人工知能的というか、プログラムを乗せて走らせる感じじゃなく、 ”芽生える”というか、化学的に言うと”発生”する感じ。 ということは、ロボットに五感を与えて、 メモリとHDDを積めば、”心”が芽生えるのでは?とか。 それでロボットに心が芽生えなければ、 人間は、五感+記憶以外の何かを認識していることになる。 しかも、その”何か”が心の”コア”である可能性が高い。 しかし、五感以上となるとーーー、4次元? とすると、時間か? それ以上か?5次元?もうワケが解りません 記憶もほとんどなく、それゆえ五感も未発達な存在ーーー、 まあ、赤ちゃんですけど。 彼らは泣いていますね。 あれは、心がそうさせているのか、 それともーーー・・・ と、今回は特にテーマを設けるでもなく、 特にまとめるつもりもない思考を、ただ垂れ流すという暴挙に出てみました。 僕は普段、こんなことばかり考えているというわけですね。アホですね。 独断と偏見に満ち満ちた内容に怖れ慄くこと必至(僕が)。 PR ![]() ![]() |
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1986/12/14
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古い映画のパンフレット収集
自己紹介:
宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。 座右の銘は酔生夢死。 最近、 日記の意義を見失い、迷走中。 眠れない夜に更新。 優しくなりたい。 ドムドムハンバーガーが大好き。
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