いや、説明とか苦手です
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 きのうの僕におさらば。 きょうからは新しい僕。 いわばニュー僕。 なぜだろう。 新しいはずなのに、この響きの古臭さは・・・。 ニューって・・・。 ”レッツゴー”くらい古い語感だなあ・・・。 まあ、それは良いです。僕のセンスのなさは、さておき。 思うのですが、他人には、さらに別の顔がありますよね。 きょうはその話です。たぶん。 しかし、書いてるうちに脱線する可能性もなきにしもあらず。 そうならないように努力、はしません。 ”書いたこと”は、”そのときに書きたかったこと”なので、 まあ、過去を消すのは色々と思うところがあるので。 ブログを終わらせるか、別のキャリアに引っ越すまでは残したいと思います。 反転を覚えたおかげで削除も減ったし。 言うまでもなく他人というのは埒外で、まったく理解できない存在ですが、 (この場合の他人は”自分以外”と定義します) しかし、極稀に友情が芽生えたような気がしたり、 相思相愛しているように錯覚されたりしますが、 まあ、それでも完全にお互いを理解するには至らないと思います。 基本的にも、例外的にも一方的な感情のやり取り。 「違う!愛とは素晴らしいものだ!」という人はぜひ僕を説得してください。 僕は他人を嫌いなんじゃなくて、好きになれないだけです。 だって、油断できないしね。緊張状態はしんどいので切り捨てただけです。 まだわずかに他人との関係を保っていますが、それは自分自身の延長という感じ。 文字通りに、他人じゃない。ただならぬ関係というわけです。あとは仕事。 ほかは、まあ、たまに色々ありますが、ほとんど静かな人間関係です。 ただ、その例外的な”わかった気になれる”ような、 ”相手からも自分は信頼されている”と思えるような、 そういう奴にも、 ぜんぜんわからなくなるような、 積み上げてきたものがすべて幻だったと思ってしまうような瞬間があって、 それが、 ”自分以外の他人と接している親しい人間(友人でも恋人でも良いですけど)”です。 これは未知だし、干渉しようがないし、そして遠慮してしまうので”他人”と言うほかありません。 自分以外の人間と接する友人は、まったく別のキャラです。 友人の友人の前では、友人は、友人の友人の友人になっているわけです。 そんなの、別人です。 そんなの、他人です。 距離が離れていくのを感じます。 さみしいので、いやです。 格好悪いので、口には出しませんが、いやです。 嫉妬みたいにメラメラした感情じゃなくて、 誰もいない部屋みたいな、がらんとした感情です。 やけに音が大きく反響するような。 でもまあ、当然です。 個人を認めるということは、他人と比較するということですから。 それは、区別ですから。 それは、差別ですから。 平等なんてありませんから。 公平なんてありませんから。 均等なんてありませんから。 僕もやっていますから。 ですから。 わかる。 でも、いやだ。 なんか、最近、わがまま度が増していくのを感じるなあ。自意識が不安定だからかなあ。 ”いやだ”だってさ。子供かよ。馬鹿かよ。という感じ。ハローグッバイ並に意識がばらばらだもの。 考えなくちゃいけませんね。 いちばん良い方法を。 そこが向き合うべきポイント。 わかってはいるんですけれど。 まあ、楽じゃないっていうか。 PR ![]() ![]() |
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プロフィール
HN:
Regnen
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1986/12/14
職業:
学生
趣味:
古い映画のパンフレット収集
自己紹介:
宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。 座右の銘は酔生夢死。 最近、 日記の意義を見失い、迷走中。 眠れない夜に更新。 優しくなりたい。 ドムドムハンバーガーが大好き。
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