いや、説明とか苦手です
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 トラップペルに特に意味はありません。 タイトルが”整合性”だけでは、さみしいというか、 しっくりこなかったので、取って付けました。 西尾維新以降ですか? 漢字や、かなタイトルのあとにカタカナを足すようになったのは。 あれは、本当に、しっくりくる。なんつーか、名詞として。 口に出して発音したときの気持ち良さがぜんぜん違う。 ギャグなんかでもそうだと思いますが、重要なのは鮮度よりも快感です。 アクション自体や、アクセント自体に快感があれば、それがそのまま耐久度になります。 どんなに恥ずかしくとも。 なんか楽しそうだったり、気持ち良さそうだったら、我慢できないんですよ。 人間は快楽に弱い。弱い、というか奴隷です。 ご存知の通り。 まあ、快楽というのは、突き詰めると痛覚なんじゃないのかなー、とか思いますけど、 まあ、思うだけで、考えないようにします。なんとなく。 僕は、自分のことを普通に普通の人間だと思っていましたが、 もしかしたら、自分で思っている以上に普通の人間かもしれません。 僕は、整合性を気にするからです。 絵を描いたことがあるからでしょうか。 絵、というのは、要するに”線”なのですが、この”線”は”人間を描くぞ”の線なので、 極端なデフォルメというか、異常に頭部が大きかったり、 骨格に矛盾していたり、その筋肉は何なの、みたいな絵は描かないように気を付けてきました。 ”既に成立している概念”を”崩す”には、ちょっとありえないくらいの技術が必要だからです。 ピカソ然り。ピカソの人物デッサンがめちゃくちゃ上手いのは有名な話ですが。 あと文章を書くときにも、いちおう辻褄を合わせようとはしますしね。 ほとんど成功した試しがありませんけれど。 ・・・駄目じゃん。 そんな感じで、”整合性”を気にする僕は”違和感”にも敏感です。 まあ、これは”想像力”とも関わってくるので触れませんけれど。 ちなみに、僕の”整合性”は”論理”寄りなので、 多少の歪みは証明で補正されます。 わりと寛大な認識。 しかし、人間って、論理的じゃありませんよね。 意図を聞いても、理解できないような行動を取ること多々ですし。 精神を病むと、特に。 リミッターが外れるんでしょうね。 整合性、というかバランスが取れてないというか。 まあ、初期型の白くて重いゲームボーイで、 ラストバイブルを8時間くらいぶっ続けでプレイし、電池が切れたので、 ふと我に返り、ブログでも書くかー、とかやってる僕の言えたことじゃありませんけれど。 あー、セーブは頻繁にしていたから、そんなダメージはないけど、 なにもレベルアップ直後に落ちることはないだろうに・・・。 ちなみに、同時に、 ドラクエモンスターズと、マリオランド2を平行プレイ中。 いつも同じ場所でマリオが死にます。 ていうか、僕が殺しているのですけど。 なんか、ちょっとした自殺みたいな勢いで死にまくるんですよね・・・。 狙い澄ましたかのようにトラップが配置されていて・・・。 10年以上の作品のほうが、いまの作品より面白いのは、 逆説的に今の作品が面白くないということを証明しているということかな。 ただ、懐かしいだけかな。 どっちも、悲しいことに変わりはなく、 ゲームという器の代わりもなく。 ”面白い”が連続する。 ”矛盾”が面白い。 だから、ゲームは好きだ。 名作と言われるゲームは、矛盾しながらも、同時にバランスを保っている。 奇跡ですね。 ハマるわけだ。 ゲームばかりして、馬鹿になります。 馬鹿になって、幸せになります。 幸せです。 電源を落とすまで。 四角い画面のなかで。 狭い世界で、飽きるまで踊る。 PR
結局、誰もが勝手なことを主張しているだけなんですから、 ”常識”もなければ”正しさ”もありません。 義理がが廃ればこの世は闇よ、と言いますが、 は、とっくに闇に包まれていたってわけです。 お笑いですね。大笑いです。あとちょっと泣きたくなります。泣きませんけども。 他人はどうだかーーー知ったことじゃあ、ありませんが。 僕の業は、解って、解りすぎることみたいです。 間違ったことが。 正しいことは、なにひとつ。 わからないのに。 何が間違っているのかだけは、解る。嫌になるほど。 たぶん、僕自身の間違い続けた歴史が反応しているのでしょう。 その道は以前に通ったことがあるぜ。 ほら、そこに。真っ赤な目印があるじゃん、みたいな。 ”正しい”という概念は基本的に後付けなんですよ。僕が思うに。 消去法で”間違い”を消していって、残ったものが”正しい”ってことになっているだけです。 で、その作業には本当なら全人類、 というか全生物、というか全動くものが参加しなくちゃならないんですけど、 まあ、無理ですから。 人類は大体が自己中ですから揉めて、どうせ戦争になりますし、 動物は何を言っているのか解りませんし、何か言ってるのかどうかも解りませんし、 プランクトンとか、細胞とか、植物とか、そもそも対話という概念が通用しませんし。 だから、まあ、色んな時代の、うまいこと偉い地位を得た人とか、 生まれつき偉かっただけの人とかが、”何が正しいのか”というガイドラインを作ったんですね。 でも、そんなの、そいつらの主観で勝手に主張してるだけなんですよ。 大体、順番が逆なんですよ。 ”何が正しいのか”じゃなくて、”何が間違いなのか”を決めるべきだった。 多少、解りづらくても、一生懸命に説明すべきだった。 だから、今。 空っぽの”正当性”を主張するばかりで、 ”何が間違い”なのかが解らない馬鹿ばっかりなんじゃねーのかなー、とか。 手を抜いたんですよ、昔の奴らは。 安易な方向に流れやがって。むかつくぜー。 まあ、そのなかには僕自身も含まれる矛盾ですけれど。 そういう”解りやすさ”が、色んなことを曖昧にして、 大事なことを誤魔化すのが、めちゃくちゃむかつくんです。 正しさの理由なんて答えられる奴、いないでしょう。 いたら、まあ、馬鹿とか、宗教とか、本当に正しい人でしょうけど。 でも、間違っている理由は誰だって答えられるはずです。 理由があるから、否定せざるをえないだけです。 そして、それを本能的に嗅ぎ分けられるのが子供なんです。 なんか大昔から、積み重なってますけど、”正しい”という決まりが。 知ったことじゃないんですよ。 本質は”誰にとっての”正しいなのか、ですから。 フォレスト・ガンプという映画があって、 まあ、観てないのですが、その関連書籍を読んでいて、 こんな一節がありました。うろ覚えですけれど。 ”地球は丸いと皆は言う。 でも、いやだったら信じなくていい” 腑に落ちました。 エゴの相対性理論。 なんか、色々とルールがあるみたい。 でも、それは、そいつが勝手に言っているだけ。 僕は何かむかついていて、確かなものは、そのむかつきだけ。 なら、そのむかつきが、僕にとっての真実だっていう、それだけのことです。 これを解るまでに22年は掛かりすぎだなあ・・・。 ていうか、小学生くらいのときにちらっと考えたけど、 常識とか、親の顔色を伺ったりが邪魔になって、思い直しちゃったんだよなあ・・・。 まあ、”自分を信じる”というのは、しんどいという話です・・・。 駄目じゃん・・・。 |
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1986/12/14
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古い映画のパンフレット収集
自己紹介:
宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。 座右の銘は酔生夢死。 最近、 日記の意義を見失い、迷走中。 眠れない夜に更新。 優しくなりたい。 ドムドムハンバーガーが大好き。
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