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いや、説明とか苦手です
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 やあ、雛祭りも後の祭りですね(深い意味はありません)。
 わたしは深海魚のようになりたい。
 ていうか深海魚になりたい(願望です)。
 そんなことばかり考えていたら、
 朝、目が覚めたら深海魚になっていました(という夢を見ました)。
 ちょっとやばめですね。
 滅多に夢は見ないのですが(滅多に眠れませんからね)。

 どれくらいのやばさなのか比較検証するために、
 友人のMに、
 「昨日の夜、どんな夢を見た?」
 と訊いてみたら、
 「たらこの粒を延々と袋から出す仕事をしてた。
 たぶん、たらこペーストのチューブを作る作業のひとつだと思うのだけど」
 という答えが返ってきました。
 どうやら、やばいのは僕だけではないようです。
 安心しました。
 安心してもいいのかな?という自問自答を黙殺して、今日も平和。
 自己分析を投げ出してしまえば、たいてい平和な気分になれます。
 偽りの平和ですけれどね。現実と同期していますね。もちろん皮肉です。努めて気にしない振り。
 思考停止と停滞がマイベストフレンド。葛藤はデッドフレンド。
 ”平和”って、”塀の外は見てみぬ振り”のアナグラムですからね。
 迷わなければ、楽なもんですよ。
 意図的に視野を歪めれば、必然的に狭くなるでしょう。
 間違っても、いい。
 そう思えば、いい。
 なんて。
 冗談です。
 楽な生き方を知っているのに、
 それができないのは、まわりから見れば滑稽に映るのでしょうか。
 楽な生き方って、たぶん死に方も楽ですよね。
 あ、やばい。それ、いいなあ。惹かれる。
 でもまあ、楽に死ぬのは格好悪いと思っているので。
 格好付けるために生きているので。
 格好悪く死ぬくらいなら、生きたほうがまし。
 なんて。
 駄文はこの辺で。

 ブログについて。
 なんつーか、夢にしてもそうなんですが、
 日記のネタって覚えてるつもりでも、いざ書く段になると、
 すっかり忘却していて途方に暮れることが多々あります。
 忘備録に残すことを忘れちゃったら本末転倒じゃんよー、みたいな。
 加齢のせいかな。
 ”ネタを思い付いた”という印象が強烈すぎて、肝心のネタ自体の印象が薄れているんですね。
 どんだけネタに飢えているのだ僕。ネタ貧乏。
 あと、”忘れないように”と意識するのも逆効果ですね。
 それだと、”忘れないように”だけを強く印象付けてしまうので、
 結局、ネタ自体よりも”忘れないように”を優先してしまいます。駄目じゃん僕。
 22歳ですよ。
 22年生きているんですよ。
 にもかかわらず、記憶するのが苦手です。マイスウィートぽんこつ脳。
 嫌なことばかり覚えています。
 こういうところがカワードですよね。
 
 皆さんは記憶って、どのように管理しているのでしょう。
 どういうイメージなのでしょう。メメントモリ。
 パズルのピース?
 断片が漂っている?
 意識していない?
 僕は、わりとハードディスクっぽいイメージです。
 フォルダごとに断片を格納している感じ。
 ただ、ラベルとプロパティがないんですけどね。
 フォルダは開けるのですけれど、名前も容量もわからないという。
 なので、手付かずのフォルダも多数あったりして、
 中には、「これ本当に僕の記憶かな?」なんていうのもあったりしますビリーミリガン。
 印象深い出来事をアイコンにして、適当に関連付け。
 ん?
 ていうか、こういう内容、前に書いたような気がするなあ・・・。
 すっかり忘れていました。
 まるで深海魚のような記憶の数々。
 要デフラグ。
 駄目じゃん・・・。

 
 

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 今日は雛祭りですね。
 この行事の由来は確か古事にまつわる禊だったと記憶していますが、
 しかし、雛壇に並ぶ無数の人形の目は、ちょっと異様で、
 幼かった頃の僕は専ら恐怖を覚えていました。
 そういえば、かくれんぼをしていた子供が、雛人形を仕舞う箱に隠れたまま姿を消してしまった、という神隠し系の怪談を思い出しました。いま。オチは、数年後に再び箱の中から現れた、だったような。うろおぼえ。
 最近は、行事になると何かと理由を付けて姉さんが飲酒するので、その後始末をするのが怖いというか嫌だなあ・・・。なんていうのか、自覚が足りないと思うのです。それは僕もですけど。
 ぐだぐだしてるのが楽しいんです。
 それ以上は、こわいんだ。
 本当、下手な怪談よりもよっぽど怖いですよ。
 だから、僕は言いません。言いたくなるときもありますけどね。
 少なくとも、ごまかせるうちは、ごまかしたいと思います。
 誰をって、もちろん自分自身をね。

 なんつーか、日本人の傾向として、奥ゆかしいというか、
 ぶっちゃけて言うと引っ込み思案で、もじもじしていて、
 ああもう焦れってーな!という側面があって、
 それはあまり良いことではないみたいです。
 どうやら自己主張のなさ、と受け取られてしまって、
 そのまま社交性のなさ、という属性に変換されるようです。
 しかし、自己主張があると、そっちのほうが社交性に欠如していそうな印象がありますが、
 まあ、僕が考えたところで無駄というものでしょう。
 世の中的には、意味が真逆になるくらいは誤差の範囲内です。
 印象は与えられるものではなく、刷り込まれるものですからね。
 いつの間にか刷り返られていても不思議はありません。
 矛盾当然サブリミナル印象。
 相反したな、と思っても頷けば返ってくるのは微笑み。
 納得を犬に喰わせてヘラヘラとした幸福を。
 暖かい睡眠不足。
 常識ですね、世の中的には。
 まったくクソな世のなかですがーーーおっと、口が過ぎました。
 まあ、とにかくルールのなかで生きることは肝要です。
 そう教わりましたからね。義務教育で。
 学校というのも相当にクソみたいな場所でしたがーーーおっと。
 まあ、少しは得るものがあったので、まったくの無駄というわけではありませんでした。
 どういうかたちであれ、思春期に多くの他者の思考に触れることは有意義だと思いますから。
 あれ、なんの話だっけな?なんか普通に愚痴っていましたが。

 気を取り直して本題に入りたいと思います。
 言いたいことを言わないって、わりと大切だと思うんです。
 言葉自体は単なる文字の連なりや記号に過ぎませんが、
 人間の想像力はそこに言葉の持つ意味以上の意味を見出してしまいます。
 その結果、自分の想定していた以上に相手に影響を与えてしまうことが多々あります。
 影響って、いま、ぼかして書きましたけど、
 これは相手を傷付けてしまうことがある、という意味です。
 要するにデリカシーの話です。
 言いたいことを言うと傷付く人がいる、という話です。
 いや、そいつが勝手に傷付いているだけだろ、知ったことかよ、と思いますか?
 まあ、自由ですけど。
 僕は、ちょっと偽善者なので、いやなんです。そういうの。
 押し付ける気はありませんけどね。

 全てを言葉にする必要はないと思うんです。
 臆病者の僕としてはね。
 ただまあ、だからといって暴力に拘泥するのは論外ですけれどね。見苦しいし。
 わかりあえないのがつらいなら、かわいそうですが処置なしです。
 優先順位を見つめ直してみると良いと思います。
 いちばん大事なものと、いちばん欲しいものが同じな人は幸福ですが、
 そうでない人は地獄ですね。
 そして、たいていの人が地獄です。
 でもまあ、大事なものが特にない人は幸福でも地獄でもなく、ふわふわしているだけです。
 僕みたいに。
 どこかにあるはずの欲しいものを、こころのなかできらきら光る宝物に美化してーーー

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 崩壊という現象が内部と外部に現れるように、
 自らの変化の兆しもまた内側と外側に顕れる。
 
 なんつーか、”あー、あいつら変わったなあ”と思う自分もまた変わってるんだなあ、みたいな。
 たとえば、昔は好きだったアーティストの新譜を聴いてみたら、
 ”なんか昔と曲の感じが違うなあ”と感じたり。

 それはアーティストのほうでも新しいものを作ろうとした結果なのだろうけれど、
 昔の作品と比較してみると、
 その当時に感じた”そいつらしさ”みたいなものは失われているような気もする。
 経年によってアーティストの音楽的な方向性が変わったこともあるだろうが、
 きっと僕自身の”受容勘”とでも呼ぶべきものが変化しているのだろう。
 それを裏付けるように、最近の作品はいまいちでも古い作品は相変わらず好きだったりする。
 
 変化しないというのは簡単なようで、なかなか難しい。
 維持する、と言い換えればそのしんどさが少しは理解してもらえるだろうか。
 極端な例を持ち出せば老化だって変化のひとつである。
 
 変化には属性がある。
 属性というか、客観的社会的な評価といったほうが近いかもしれない。
 (相対的な評価でないのがポイント。比較はされるが、あくまで一方的。
 比較の基準となるルーツモデルも曖昧だったり、超高性能だったりして支離滅裂。)
 社会規範に沿えば”成長”。これは善。
 社会規範に沿わなければ”劣化”。これは悪。
 解りやすい二元論。割り切れれば楽なのだけど。

 しかし、なんつーか、これは僕の個人的な感覚なのだが、
 どうにも”成長”という言葉にはネガティブなイメージが付きまとう。
 イメージというか、それは映像として具体的に思い浮かべることができる。
 ごつごつした岩を思い浮かべてほしい。
 それを削岩機でどんどん削り取っていくイメージ。
 がらがらと、あるいはぱらぱらと、砕かれた欠片がばらまかれる。
 ばらまかれた欠片は闇に吸い込まれる。
 その欠片は個性とかそんな感じ。
 あー、大事なものが失くなっちゃうなー、という俯瞰。
 たぶん強迫観念とか劣等感からくるPTSDなのですが。
 
 成長、ね。
 よく解らない概念です。
 なにをもって成長としてますか?
 成長すると、どうなるんですか?大人?
 大人ってなんですかね?

 結局、答えは闇の中ならぬ、認識の中。
 それは”そう思えば”、”そうなる”になる。
 それって、”それは、そういうものだから”に似ているなあ。その場しのぎの真理。
 
 しかし、これはあくまで僕個人の主観ですが、
 男は”成長”をしないのではないかな?
 いや、男性は誰もが心の中に男の子的な一面を隠し持っている、とか、
 そういう可愛い話じゃなく、
 リアルな社会現実問題として男は永遠に成長しないような気がする。
 変化はするが、劇的な変化はしない、みたいな。
 なんつーか、昔は違ったのかもしれないが、
 現在では成長するための機会が減っているのではないかなという気がする。
 だから馬鹿っぽい犯罪が助長されているのではないかな。
 教育の腐敗。これは言いすぎか。根拠ないし。
 でもまあ、少し前の秋葉原の事件とか、そんな感じがしなくもない。

 要するに何が言いたいのかというと、
 まわりが変わったように思えるかもしれないけど、
 それは実際に変わっているのだけど、
 同時にそう感じる自分自身も変わっているのだということ。
 それはありきたりな変化だけど、しかし安易に成長だとは確信が持てないということ。
 そう考える自分すらも、既に過去の自分とは変容しちゃってて、
 じゃあ自分って何と途方に暮れるが、
 昔に感じたむかつく出来事に対して、今も変わらずにむかつければ問題なし。
 いまは、その怒りを信じる。
 そのうち、もっと信じられるものが増えてると良いなあ。
 あ、それが大人かもしれない。解らないけど。ぽい。
 

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 友人Mが言った。
 「親切って言葉があるよな」
 僕は答えた。
 「あるね」
 うん、とMは一度頷き、
 「どういう意味だ?」
 と訊いてきた。
 この問いに答えるのは簡単だ。
 親切という言葉の意味を口にすれば良いのだから。
 ということは、おそらくMは額面通りに言葉の意味を尋ねているわけではないのだろう。
 きっと遠回しに、親切ーーー引いては善なる行為とは何であるのか。
 そういったことを尋ねているのだ。
 そうなると、これは問いとしての難度を俄然と増す。
 善とは何か。これを定義することは同時に悪とは何かを定義することにもなる。
 善なる振る舞い。正しい事。
 しかし、それを意識して行えば偽善となるだろう。
 「うーん・・・」
 ぜんぜん解らん。
 というか、考えれば考えるほど解らなくなる。
 浮かんだ案を別の案がことごとく否定してしまうのだ。
 善と悪は互いに反目する概念である。
 まるでシンメトリー。
 この命題をシンメトリー命題と名付けよう。
 左右対象。
 鏡合わせの矛盾。
 鏡合わせ?
 不意に、立場という単語が脳裏に去来した。
 そう、善も悪も立場の違いでしかない。
 問題は、どちら側に立つのか。
 待てよ・・・、すると、この二つの概念は実は同じなのか?
 正当性が幻想だとすれば・・・。
 うん?あ、なんか・・・、思い付きそうだ・・・。
 「おい?」
 思考に沈んでしまった意識がMの声で引き戻された。
 「どうした」
 Mが近づいて来て、僕の表情を覗き込むようにして言った。
 僕は目を逸らした。
 「いや、なんでもない。ていうか近い。顔が」
 「ああん?」
 どけよ、と僕が手で払う仕草をするとMは呆れたように眉を上下に動かした。
 こういうの、小説だったら”Mは眉をそびやかした”とでも表現するのだろうか。
 小説じゃないから別に良いけど。
 というか、そびやかすってどういう意味だろう。いや、ぜんぜん興味ないけど。
 「だからよーーー」
 と、Mはぐだぐだになった空気を引き締めるかのように言い直した。
 「ーーー親切って言葉があるだろ?」
 そして振り出しに戻った。
 「あるね」
 僕は先程と同じ答えを返した。デジャブ。
 「どういう意味だ?」
 先程と同じ問いが返ってきた。
 しかし、今度の僕はスムーズに返答した。
 「うん、結局のところ、何が正しいのかという明確な基準は存在していなくて、
 その場その場の状況に合わせた臨機応変に柔軟な対応が必要なのじゃないかな」
 「うん、そうだな」
 よく解らないまま適当にそれっぽい文言を並べてみたのだが、どうやら合っていたらしい。
 「って、違う!」
 違ったらしい。時間差で突っ込まれてしまった。
 「え、乗り突っ込み?」
 「乗ってねえ!」
 「そう言えば大型バイクの免許取ったんだっけ。最近乗ってる?」
 「乗ってねえ!」
 「ていうか、最近ちょっと調子に乗ってない?」
 「乗ってねえ!」
 おお、打てば響く鐘のよう。
 友情って素晴らしい。
 はあはあ、とMは肩で息をしている。
 「あれ、どうしたの?」
 「おまえにそれを言われるのは心外だ・・・」
 「ははは、じゃあ僕は文字通りに侵害というわけだね」
 と、文字にしなければ伝わらないボケをして、
 「親切ね。僕の認識じゃあ、いわゆる”良い人”的な行為をすれば親切ってことになるかな」
 急に話を戻した。
 「ん、ああ・・・。そうだろ、でもよ」
 急に話を振られたMが僅かに鼻白み、
 しかし、元々は自分から振った話でもあるのですぐに順応した。
 「でも?」
 「文字だけ見ると、そんな感じがしなくねーか?」
 文字だけというと、『親』と『切』か。
 ・・・なるほど、『親』を『切』る、ね。
 「なんつーの、姥捨て山的な意味とかあんのかな、やっぱ」
 「あー、なんか民話みたいな?」
 「そうそう」
 「だとしたら、それは親切とは程遠いね」
 「そうだよなー」
 とかなんとか。

 ちなみに。
 ネットで調べたところ、親切というのは「親を切る」という意味ではなく、
 「親」は「親しい」「身近に接する」という意味で、
 「刃」は刃物を直に当てるように「身近である」「行き届く」という意味があるらしいです。
 日本語って不可解ですね。いや、深いですね。

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 まず、はじめに言いたいのは、
 マックスコーヒーうますぎ
 ということです。

 まあ、厳密には”旨い”というよりも”上手い”という感じで、
 たいして”美味い”ということはありません。
 異常に甘ったるいので、むしろコーヒーとしては不味いし、
 人によっては、
 練乳とか入れちゃって、おまえコーヒーを冒涜してんのかと思うかもしれません。
 でも、僕は、それが好きです。
 なので、コーヒーとして考えるのをやめました。思考をストップ。
 缶飲料だと考えることにします。コーヒー風の。思考をリセット。
 これは、缶飲料。非常に僕好みの。
 でも、コーヒーではない。
 
 ---みたいな話を友人のMに熱く語ったところ、
 「ふうん。コーヒーではない、ね」
 「うん」
 「いや、コーヒーだろ」
 「・・・うん」
 友人の共感は得られませんでした。
 
 しかし、Mの発言により事態は思ってもいなかった方向に展開しました。
 「マックスコーヒーはコーヒーではない、か。おもしろいな」
 「え?」
 「いや、おまえにとって、コーヒーは一体どこまでがコーヒーなのかと思ってさ」
 「・・・え?」
 Mの唇の端が吊り上ったのが、悪魔めいて見えたのは僕の気のせいでしょうか。
 三日月を横に倒したような表情でMは言いました。
 「実験しよう」
 きっと、はじめて人体を解剖した医者ってMみたいな思考の持ち主なんだろうなあ・・・。

 居間に設置されているサイフォンがこぽこぽと気泡を生む音が聞こえる。
 あたりには濃厚なコーヒーの香りが漂っている。
 僕の右手には半分ほどコーヒーの入ったマグカップ。ほんのりと湯気が浮かんでいる。
 コーヒーの中には何も入っていない。抽出したての純然たるブラック。
 そして、Mが右手に持っているのはーーー
 「じゃーん!炭酸水!」
 ーーーきんきんに冷えた炭酸水のペットボトルだった。
 おそらく姉さんが焼酎のチェイサー用に冷蔵庫に常備していたものだろう。
 怖ろしい発想力だ。
 まずは軽く小手調べに調味料あたりで様子を見てくるかと思いきや、
 いきなり本命がきやがった・・・!
 「おらー」
 とくとく、と僕の持ったマグカップの中に炭酸水が注がれる。
 「うわー・・・」
 しゅわしゅわいってるし・・・。
 この時点で既にコーヒーとは呼べない代物と化している気がしないでもない。
 とはいえ。
 僕にはまだ一縷の望みがあった。
 サイダーやソーダなどに代表される、いわゆる炭酸飲料は炭酸水のみで構成されているわけではない。
 炭酸水に砂糖や科学調味料、合成甘味料などによって構成されているのだ。
 そもそも炭酸水には味が付いていない。
 ということは、だ。
 もしかすると、味自体にはたいした変化はないのではないのだろうか。
 どうだろうか。というか、そうであってほしい。
 そして。
 「のーめ、のーめ、のーめ、のーめ!」
 Mの飲め飲めコール。
 あ、なんか平仮名で書くと”の”と”め”って似てる。
 そんなどうでも良いことを考えつつ、僕はマグカップを口元へと運んだ。
 香りは・・・、コーヒーだ。しゅわしゅわいってるけど。
 マグカップの縁に口を付け、ず・・・、と中身を啜る。
 「うぇ・・・」
 へたれた声が出た。
 「どんな味だった?」
 Mが瞳を輝かせて訊いてくる。
 僕は答えた。
 「炭酸コーヒー?」
 疑問系だった。

 その後。
 姉さんに見つかり、M共々、「コーヒーで遊んじゃ駄目でしょ!」と怒られた。
 いやまったく。

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プロフィール
HN:
Regnen
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1986/12/14
職業:
学生
趣味:
古い映画のパンフレット収集
自己紹介:
宮崎在住の22歳。
趣味は曲学阿世。
座右の銘は酔生夢死。
最近、
日記の意義を見失い、迷走中。
眠れない夜に更新。
優しくなりたい。
ドムドムハンバーガーが大好き。
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